佐塚です。
祖父江ヒロコさんの可愛いイラストに添えて、私がブツブツいう人気コーナー「おひさま二十四節気」に、「春分・花の開花」を書きました。
この絵は少し前に描いていただいたものなんですが、実は桜の開花を今か今かと待つ、というような文字を入れてもらっていました。ところが今年は随分早くに桜が咲いてしまったので、文字を描き直していただくことになりました。祖父江さんにはお手数をおかけしましたが、まさかこんなに早く咲くとはね、という感じですね。
本文中に少し触れた、桜の開花に代表されるような「生物季節観測」は、実は一度は廃止が発表されながらも、民意を反映して一転継続となったという珍しいケースです。動物の観測は、特に都市部で難しくなってきたからもうやめちゃえ、ということだったようなのですが、市民の協力も活かして継続されています。
我が家には雑木の庭があって、季節毎にいろいろな鳥や虫が見られます。特に季節観測をしている、というわけではないですが、今年はあんまりヒヨドリが来なかったな、とか、ウグイスが随分元気よくさえずるようになってきたな、とかいったことを楽しんでいます。
松岡正剛の『花鳥風月の科学』は、そのタイトルの通り、花鳥風月を科学的(ここでは事実ベースで、という方が正しいのかも)に解釈している佳き本です。その中で、
鳥の「脳」について触れている行があります。鳥の脳、というと知恵が足りない、という比喩ですがとんでもなくて、体重に比して脳は大きいし、視覚脳が大きな割合を占めているため、飛びながら地上の獲物を見つけることができるような能力を持っているわけです。猛禽類が空高くから地上のウサギを襲うのもそう、そして、住宅街にあって、木の実を見つけて我が家に飛来してくれるのも、その眼と脳があってのことでしょう。
この本に、「さえずり」についての解説もありました。古語「さへずり」は「障出る(さへいづる)」で、理解しようとしているのに、その理解を阻む言葉を話す、という意味だそうです。そこからわけのわからない言葉を話す連中を「サヘギ」とよび、古代の佐伯氏のルーツであるとか。西欧でのバルバロイとか、中国での鴃舌といった呼び方も、「わけのわからない言葉(鳥のような言葉)を話す連中」という蔑称だとか。
さえずる、というのは、確かに鳥の声以外には、うるさいとか、わめいている、みたいな比喩にも使われますが、なんだかちょっと悲しくなってしまいました。とはいえ、同じ言語を使っていても、言葉が通じない人も多い。むしろ近年はこっちの方が問題ですね。