山形県の金山中学校は
空気集熱式ソーラーの歴史で
エポックな建物であったのですが
僕にとってはそういう「建築物」
とは違った思い出があります。
金山町の紀行からは少し外れて
思い出す奥村昭雄さんとのお話です。
金山中学校は、今から30年前に
竣工しました。
設計は今回ご案内いただいた益子義弘さんと
2012年に亡くなられた奥村昭雄さんと。
奥村さんはOMソーラーシステムの
考案者としても知られています。
僕がOMソーラーに
参加することになった頃
浜松の本社に行くより前に
奥村さんの事務所にしばらく
通っていました。
当時、OMソーラーは
太陽熱利用の効果を
シミュレーションで予測したい
ということに取り組んでいて
奥村事務所でその開発を
行っていました。
僕はその時
新卒、というか卒業前でしたが
類まれな能力で
(があるように思い込まれて)
卒業前からお手伝いに行っていたわけです。
その時に奥村さんが話していたのは
コンピュータで樹形を描きたいとか
寿司の握り方とかで
ほとんど建築の話じゃありませんでした。
写真は2013年の
「奥村昭雄さんを思い出す会」
の展示から。
完全魔法陣とか
海流と風とか
試験中に暇な試験官のためのパズルとか
この辺の話も色々と
聞かせてもらった覚えがあります。
たまに話してくれた建築の話は
大抵、当時進んでいた
金山中学校のことでした。
とはいえ、なにぶん当時の僕は
建築の勉強をしてきたわけでもないし
その話が面白いのか面白くないのかも
わからず。
もったいなかったな〜。
でも、建築設計を
生業にしていなかったからこそ
奥村さんだけでなく
色々な建築家の方々が
そんなこともわかんないのか
仕方ねえな〜
という感じで
優しく接してくださいました。
(設計者に対しては
皆さんそれなりに厳しかった)
もっとも、今回ご案内してくださった
益子義弘さんは
設計者に対しても誰にでも
とても丁寧に接しられる方なので
建築家だから偉そうとか
歳を重ねたら偉そうとか
そいうことじゃないですね。
今では僕も
自称建築家や工務店の人に
あれ、こんなこともご存知ないですか?
仕方ねえな〜
という感じで接したりしますが
やがてそういう風に言われた人が
また成長して
仕方ねえな〜
という。
そんな風に時代が繰り返すのか
AIの発達でそんなこともなくなるのか。
僕は奥村さんに直接
何かを教わったわけではありません。
でも、興味の対象だとか
考え方だとか
そういったことはそばで見ていて
なんらかの僕の変化を
促してくれた、と思っています。
おこがましいですが
奥村さんに対しても
僕がほんの少しでも変化を
もたらしたかもしれません。
人はこんな風に
出会うことで変化をするもので
これからも僕も変化したいし
人を変化させるきっかけにもなりたい。
そんな風に思ったことを
書き連ねていたら…
金山中学校のことに触れる前に
だいぶ長くなってしまったので…
では、また明日!