昨日は七夕でした。
天の川の写真…

が、雲に遮られて、撮れませんでした。
例年のことですが、新暦の7月7日というのは梅雨のさなかで、天の川が見える確率はかなり低い。
一方、旧暦の7月7日、国立天文台のいう「伝統的七夕」は今年は8月19日で、こちらは梅雨明け後だから晴天率が高く、月も夜半前に沈むので天の川がくっきり見える日が多い。
つまり、本来の七夕は「星が見える行事」だったのに、明治の改暦で日付だけがスライドして、主役の天の川が見えない日になってしまった。年に一度の逢瀬の日に、当の二人が観測できない。
ってのはよく話題になるので、もう一つ別の話。
なんで七夕は、若者のイベントにならなかったんだろう?
設定だけ見たら、これ以上ないくらいロマンチックな話ですよね。
引き裂かれた恋人たちが、年に一度だけ会うことを許される夜。しかも舞台は満天の星空。映画にしたら泣ける類のはず。
なのに、現実の七夕はというと、幼稚園児が短冊に「プリキュアになりたい」「新しいゲームがほしい」とか書く日になっているではないですか。
クリスマスは恋人の日、バレンタインはチョコの日、ハロウィンは仮装の日として若者を巻き込んだのに、七夕だけは子どもの行事のまま止まっている。これ読んでる大人の方、お子さんの行事以外で、七夕のことした人、いる?
なぜか?
すぐ思いつくのは「売るものがなかった」説です。クリスマスにはケーキとチキンとプレゼントがあり、バレンタインにはチョコがある。七夕には……そうめん。7月7日はそうめんの日らしいですが、そうめんでデートは盛り上がらないよなあ。笹飾りも本来は一夜飾りで、翌日には片付けるものだから、商材としては筋が悪い。企業が仕掛け損ねた行事、という見方はできそうです。
でも、もう一つ。
星を見上げる、という行為そのものが、生活から消えたんじゃないかと。
ひと昔前の7月の夜には、夕涼みがありました。
縁側、行水、蚊帳、うちわ。
そのぐらいのことでしのげるぐらいの夏の夜だった、ということかもしれません。

暑くなったからエアコンをつける。より暑くなる。というスパイラルから抜け出す方法ってないんだろうか?
まあ、みんなが一斉にパッシブクーリングだけで過ごす、というのを何年かやれば、多分、良くなるんだとは思います。
(コロナ禍で経済活動が停滞した時、温度上昇が控えられたみたいだし)
でもまあ、昨日の話で言うなら、エアコン右翼が優勢ですし、僕も今、エアコンが効いたカフェでこれを書いてたりします。人は楽チンな方に流れちゃうのだ。
行事は生活様式とセットなのだ。生活が変わったから、行事が宙に浮いてしまう。
大都会では、夜空を見ても、街の明るさや空気の汚さで、星空なんかろくに見えません。
大都会ではない浜松でも、そういう機会が如実に減っています。
夏の夜に、夜空を見上げる、なんてことが、本当に少なくなったんだと思います、僕自身も。
別に、夜空にファンタジーを求めなくたって、身の回りには娯楽もあるし、ましてや儲けの口がない七夕、こんなふうになったのも、仕方ないことかもしれません。
でもさあ〜
昨日も今日も、同じ温度と湿度の部屋で動画を見ているよりも、今日は晴れたから天の川が見えたね、って、汗かきながら、空を見上げる暮らしの方が、面白いと思うなあ〜、まあ、個人の感想です、ってやつですけど。
ウッドデッキとか見晴台みたいな仕掛けは、夜だって愉しいよね。
そういう「たのしさ」こそが、家を建てる最大のメリットじゃないかなあ〜。
コスパとかタイパとか、そんなんじゃない、気が付いてなかったことに気付くとか、視野が広がるとか、そういうの。
