「科学的」ってなんだろう?

福島第一原発の処理水排出が
大きな話題になっています。

色々批判もありますが
溜まっていくものをなんとかしないとという
難しい問題であることは間違いありません。

中国が日本の水産物を禁輸したことに
「科学的根拠がない」という反論が見られます。


NHK NEWS WEBより

科学的根拠、って、なんでしょうね?

処理水に含まれるトリチウムは
自然界にもたくさんあるそうです。

運転している原発からも日々排出されているし
要するに薄めて流せば安全で
問題ない、というのが排出側の科学。

中国外交部の抗議は

浄化装置の長期的信頼性やデータの信ぴょう性、モニタリングの有効性などに対する国際社会からの懸念が晴れていない

安全ならば放出の必要はなく、安全でないならばなおさら放出すべきでない

という内容です。

浄化装置の長期的信頼性も
データの信憑性も

それを担ってきた人たちの
信頼性が問われているわけです。

「科学的に」という言葉は
物理学や化学といった自然科学という
ニュアンスなのでしょう。

でも科学にはもう少し広い範疇もあって
社会科学とか人間科学
という分野もあります。

社会科学的に見ると
中国の抗議にも一理あるのかもしれません。

だから、非科学的だという批判は
科学的ではないかもだなあ…
(屁理屈好きで、すまん)

ところで、もう一つ気になるのは
「濃度」の問題。
薄めて流すからいいでしょ、と。

確かに、量が少なければ害はないかも
しれませんけれど
全体の量はたくさんになりますよね。

これは放射性物質に限りません。

身近でも、こういう「総量」が
あまり気にされていないケースがあります。

例えば、農家が使う農薬は
使用できる時期、使用していい量などが
定められています。
(実際に守っているかはともかく)

「使用していい量」が重要です。

かたや、一般向けの除草剤なんかは
そういう規制がありません。

使い放題です。

たくさん使えば草が早く枯れる、と思うのか
大量に除草剤を使う人もよくいます。

除草剤によく使われる
グリホサートという成分があります。

グリホサートには発がん性がある
という説と安全だという説で
研究が二分しています。

どっちの科学が正しいんでしょうね?

それぞれの言い分をきちんと読み解かないと
はっきりわかりませんが、言えることは
我が国の基準は他国よりも緩い(危険側)ってことかな…

土壌に成分は残留しないから安全
というのがうたい文句ですが

作物には残留が認められますし
土壌を通り抜けて地下水を汚染する
という説もあります。

販売を禁止している国もありますが
日本では発がん性がないと国が認めています。

だから、家庭の庭にも撒き放題。
不動産をやっているところは
管理地にも撒き放題、ですね。

どこかの会社みたいに
街路樹に撒くのではなく

自分の土地だからいいだろ?
という理論かもしれませんが
地面は繋がっています。

個人の庭の手入れ方法まで
工務店が口を出すのは
難しいかもしれませんけど

除草剤で一掃してしまえ!
みたいな庭ではなくて
手入れを楽しめるような庭を作ることで

(グリホサートに限らず)
除草剤撒き放題、みたいなことが
少しでも減るといいなあ。

と、科学的ではないオチですが
これもきっと何かの科学だよ…