米沢で上杉氏が愛されているのを見てきた

日本の戦国時代、天下人として
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の
三英傑がよく挙げられます。

そういう派手な人たちも
いいんだけれど

せっかく山形まで来たので
米沢で上杉家の足跡に
ちょっとでも触れていこう。

米沢藩の初代藩主、上杉景勝は
越後・現在の南魚沼の出身で
上杉謙信の養子となって
上杉家の家督を継ぎます。

織田信長に討たれそうになるも
本能寺の変で織田軍が引き上げ

秀吉には寵愛されて
五大老の一人となり
中納言に

秀吉から会津120万石に
加増移封(要するに栄転)され

しかし家康とは対立し
関ヶ原では西軍として戦ったため
米沢30万石に減封(かなりの左遷)

三英傑とついたり離れたり
大大名だった上杉家は
最後は勢力を削がれて
米沢の小さな大名に。

判官贔屓か
その後の善政もあったのか

米沢の人は上杉好きだな〜

と強く感じました。

「上杉神社」なる場所があります。

元々は上杉謙信を祭る
仏式の寺だったものが
明治に入って上杉鷹山を合祀して
神社となったそうです。

↓藩祖・上杉謙信

↓上杉景勝と直江兼続

↓上杉鷹山

鷹山は

為せば成る為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり

の名言で知られる名君です。

が、鷹山が名君になれたのは
先代までがまあまあデタラメな
藩の経営をしたからに他なりません。

上杉家は会津120万石から
米沢30万石に減封された時にも
家臣をむやみに首にしたりせず

本来の意味のリストラクチャリング
(クビという意味ではなくて
支出削減や事業再構築)で
なんとか生き残りました。

が、後継争いで混乱し
さらに15万石に減封され
鷹山まで放漫経営が続く…

久しぶりにまともな人が
藩主になったので
鷹山は後々まで米沢の人に
愛されるようになったようです。

「為せば成る〜」なんて
名言のように言われているけれど
当たり前のことだし

(やればできる。やらないとできない。
できないのはやらないから)

ともかく上杉氏が米沢の人に
愛されているのは確かなようで

上杉神社の横には
県民ホールと一体化した巨大な
上杉博物館(設計/関・空間設計)

せっかく米沢に来たので
重要文化財の旧米沢高等工業学校本館も
見てきました。

山形大学に移管されていて
手続きすれば中も見られるみたい。

こんな感じで観光しながら
戦国武将にビジネスを学ぶ旅…
じゃないんだよなあ、実は。

上杉家の栄枯盛衰は
確かにとても参考になることだけど
米沢に来た目当ては
それだけではなかったりして。

散々引っ張った山形編
いよいよ次回、最終回!
(多分)