「不登校傾向」にある中学生が
推計で41万人、という報道がありました。
報道の主眼は
「早い段階からの支援を」と。
ん? 強烈な違和感。
上の画像はNHKニュースから↓
病気などを除いて年間30日以上学校を欠席する
というのが文部科学省の「不登校」の定義です。
僕が学校に行っていた頃
(というか行っていなかった頃)
の定義はどうだったかわかりませんが
今の定義に当てはめれば
僕は完全に不登校でした。
僕を見て
ほら〜学校に行かないとああなっちゃうぞ
となるのか
学校に行かなくてもあんな風になれるぞ
と思うのかは人それぞれでしょうが
報道の
「早い段階からの支援を」という
言葉には
不登校=いけないこと
という意識が透けて見えて
どうしても書かずにはいられませんでした。
実際には、この調査をした
NPO法人「カタリバ」は
不登校者を学校に行かせることを
目標にしているわけではなく
いろいろな理由で
学校に通うのが難しい児童生徒を
サポートする
という活動をしているので
報道はミスリードですね。
「不登校」という言葉は
学校に行くのが正義だ! という立場から見れば
不・あるいは負の響きを持っていますが
僕などは
「みんな行っているから」
という理由で考えもなく
学校に行くよりも
「行かない理由があるから」
学校へ行かないという
選択をする方が
ずっと能動的ではないか
そんな風に思うのです。
(自分が行ってなかったことの
正当化、かもしれないけど)
日本社会は
失敗に不寛容だといわれます。
不登校がまるで失敗であるかのような
報道はよろしくない!
能動的な選択もあるけど
経済的、健康的な理由や
いじめなどで学校に行きたくても
行けないという人もいるし
そういう人への支援が必要、と
報道もそうあってほしかったなあ
かくいう我が家は
幸か不幸か親の真似はせず
二人の子どもは学校にほぼ毎日行って
今は家を離れて
それぞれで生活しています。
僕は今、子どもの寝室だった
ところを仕事場にして
このブログを書いたりしています。
鍵どころか、ご覧の通り、扉もない。
子どもたちが家にいる時も
寝るだけの部屋でした。
「この家はもともと夫婦2人用だ!」
「お前らはあと10年も住まないんだ!」
みたいなことを言い聞かせ
(もうちょっとソフトにね)
意図的に作り出した居心地の悪さのおかげで
子ども達は無事に巣立ってくれました。
よく、住宅のプランで
玄関から子ども部屋に直行できるとか
子ども部屋に鍵がかかる場合は
子どもが非行に走りやすい
なんてことを言ったりします。
僕が家を建ったころには
こういう考えが幅を利かせていましたが
これも今や、前時代的な考え方ですね。
リビングで家族と同じ空間に
いたとしても、スマホで外と繋がって
子どもがいわゆる非行をはたらいても
親には全然わかりませんし
子ども部屋にこもって
学校以上の学びをしたり
お金を稼いだりすることだって
できるわけです。
もはや、家族仲の悪さを
住宅のプランのせいにするのは
完全に時代遅れです。
ましてや不登校=非行ではないし
非行だって内容によっては(以下自粛)
世の中に
宣伝・メッセージを発するときに
どうしてもステレオタイプの
家族像を描いてしまいがちですが
そうではない家族にとっては
嫌なメッセージに見えてしまうかも。
(家族でない施主だってありますし)
ずっと子どもと、親と暮らしたい人もいれば
さっさと離れたい人もいるし
何にしても
カタにはめすぎてはいけない
のですが、こう書いた時点で
カタにはめるなという
カタにはめちゃってるのかも?