バカの研究

繁華街で見かけた選挙演説と、抗議と、警察。
どっちも、どっちだなあ…と立ち止まったあとに思い出した『「バカ」の研究』。
バイアスに気づかない正義と、建築バカの話。


繁華街を歩いていたら、衆議院議員選挙立候補者の演説が始まろうとしていました。

しかし、その目の前には、その政党を口汚く罵るプラカード的なものを掲げる人が数人いるではありませんか。

そのうち警察がやってきて、プラカードの彼らを少し遠くに連れて行ったりしていましたが、結局、ヘイトプラカードも警官も戻ってきて、演説の最前列に陣取っていました。

どっちも、どっちだなあ…いや、話題になればなるほど立候補者が有利? もしかしてそれも含めた仕込み? そうでなければ立候補者は辛いだろうし、いずれにしても、こっちまで気分良くないな…

バカの研究

この直前に『「バカ」の研究(亜紀書房)』という本を読んでいました。

ジャン゠フランソワ・マルミオン 編

刺激的なタイトルですが、至って真面目にバカを研究する本です。

バカというのは、学歴が低いとか、モノを知らない、ということではありません。

誰でもバカになり得ます。もちろん僕もです。なり得るというより、もうなっているかも。

ただ、この本でいうバカは、バイアスの存在に気づかないバカなのです。

バイアスって、良い意味で使われないことが多いです。

なんとかファースト、ってのもある意味バイアスだし、それ以外に他のことを訴えていても、そこには目が行かずにそれだけ批判するってのもバイアス。

だからバイアスがかかっていることを知らずに「正義」を振りかざすのはバカだ、ってことみたい。

バイアスを完全に無くすことなんかできないはずです。政治の世界も、それ以外でも。

家づくりにおけるバイアス

むしろ、家づくりに関して言ったら、バイアスかかりまくりの、自分たちの正義出しまくり、でいいと思ってる。

もっと言うと、自分の正義に合わない家にヘイトを浴びさせたい気持ちにもなる…(もしかして、このブログはそんな役割を果たしてしまっている、かもしれない)

ヘイトは嫌だけどさ、自分たちの正義は、ちゃんと訴えたいですよね。

まあ、その正義が、近隣に、社会に、すごく迷惑だったら良くないかもしれないけど、少なくともそんなことはない、と思いたい。

木の葉っぱが落ちてくる、なんてのは迷惑に思う人もいるかもしれないけど、僕の正義では木のない家の方が悪いのだ…

あれ? バカだな〜!

結局、自分の意見と合わないとバカに見えてしまう。そんな人が真のバカなのでしょう。僕もそうです。

建築バカ、おおいに結構

でも一方で、バカという言葉には、「バカ正直」につながるような、いい意味もあります。
「建築バカ」なんてのも、そうかもしれません。

僕は建築好きな人・つまり建築バカが好きです。
建築が好きでもなさそうなのに、建築…というか、建物で商売している人もいますけど、そういう人は、あんまり応援する気になれないな〜

というバイアスが働いてしまいます。

裏を返すと、バカはバカと結びつくと、より強くなってしまうのです、良いか悪いか別として。

『バカの研究』によれば、日本人はバカが少ないそうですが…ホントかよ(ここにもいるぜ)。

ともあれ、他者へのヘイトではなく、いいところを堂々というバカでありたい、ですね!

建築バカの皆さん、どうかよりバカさを見せつけていきましょう。