「便利」か「依存」か、わからなくなる

使えば使うほど、「便利」なのか「依存」なのか、わからなくなってきます。AIも外注も、「それがなくなったらどうするか」「コアなものはどこにあるのか」という問いを持っておいてほしい、という話。


ここしばらく、意識してあまりAIのことは書かないようにしてます。
でもやっぱり、たびたび聞かれます。

それはSEOに変わるAIO的なことだったりもするし、集客や営業用のコミュニケーション用のことだったりします。いろんな判断に関わることも。

どれも、掘り下げればいろんなことがあります。
お話しすると、「うわぁこんなこともできるのね」という驚きが工務店さん側にあります。驚かれるとちょっと嬉しかったりしますが、驚くだけってのはやめとこうぜ、的な話。


僕自身は、AIサービスにだいぶ助けられています。
従業員はいないし、これからも増やすつもりもない。
そうすると、「自分がやらないこと(やりたくないこと)」を明確に切り出してAIが使えます。

一方で、(僕自身も実験してますし、チャットbotなんかもつけてますけど)、AIを自分の分身のように使う、なんてこともできるわけです。

分身のように、ってのは大袈裟だけど、まあ、ブログをそれっぽく書かせるとか、迷ったときに自分っぽく判断する、なんてことは、だいぶできるようになってます。というか、僕よりマシかもしれない。


そういう便利なものが出てきたとき、ちょっと気になるのは「それがなくなったらどうするか」ということです。

やりたい放題に値上げされる(すでに起こってますけど)、サービスが終了する、法規制が入る。

「そうなったら別のに変えればいい」と思うかもしれませんが、使い込むほどに、乗り換えコストは上がります。

「便利」と「依存」は、気づかないうちに入れ替わっています。
「これをやってくれる」から便利。
「これなしには動けない」になったら、もう依存かも。
そしてこの境界線は、使えば使うほど、ぼんやりしてくるような。


この時、気をつけておきたいのはコア能力はどこにあるかということです。

例えば、いつも頼んでいる、凄腕板金職人がいるとしましょう。もういっつもお任せで、図面も書かずによろしく、でやっている、と。

それで、もしその人が辞める、となったら、本当に困るのは「その人がいないと屋根が収まらない」ではなくて、「屋根の何がどうなっていれば収まるのかを、自分たちが理解していない」状態かもしれません。

あるいは、設計を外部に依頼している場合。
設計コードというか、大事にするべきところを言語化して、外部の設計事務所に伝えられているならいいのですが、それがなかったら、「設計はなんでもあり」になるか、あるいは「外部の事務所にアイデンティティを握られている」というか。

まあ、これらは極端なたとえですけれど、AIに限らず、そういうことって、結構ないですか?


AIがつづってくれる「自社の〇〇」もここに含まれるようになってくるかも。

お客さんへの返信、ブログの文体、説明の仕方——それをAIが全部さばいて状態になったとき、サービスがなくなった瞬間に「自社の言葉」もなくなります。怖〜

そんなことないよ、と言いたい気持ちもわかりますが、依存して使わなくなった能力は、結構、あっという間に衰えますからね〜。
自分で自分の言葉が出せなくなる、という、怖いことになってしまうかも。


じゃあ、どうするか。

AIサービスの場合、完全な解決策はないんですが、AIに関して言えば、複数のサービスを並走させること。一本に全業務を乗せるのをやめて、一部は別の手段を残しておく。廉価な保険です。(めんどくさいけど)

アウトプットを自社のテキストとして手元に残すこと。
AIが書いた文章は手直しして自社の言葉に変換する。
プロンプトは保存しておく。
Markdown形式のテキストで手元に置く(AIサービス上にしかない、という状態にしない)。

こういう汎用的な話だけじゃなくて、強烈な機能に乗っかってる場合はこの限りじゃないんですが、要するに強烈な機能に乗っかってしまう場合の「コア機能」は、自分の手元に置いとこうよ、という話です。


設計・施工の場合も同様です。
「図面」は残せても「施工できる人」「設計できる人」は残せないことがある。
社内で育てた人も辞めていくかもしれない。外注から引き継げないものもある。

それでも、「何に依存しているかを知っている状態」と「知らない状態」では、何かあった時の対処がまるで違います。

AI活用も外注も、「いなくなったらどうするか」という問いを、ちゃんと持っておいてほしい。
依存の地図を頭の中に持っておく、それだけでいいんじゃないかな〜。

そういうわけで、僕にも100%依存しないように。そんな人いないか?