手が届く、という言葉

手が届く家、と言いながら価格の明示がない家は、いったい誰の手に届くのだろう、と思うけど、自分に届きそうだ〜って思っちゃうんでしょうね。ニホンゴムズカシイ


トランプ米大統領が来日
東京は警備がものすごいみたいですね。

いろんな意味で
無事に帰っていただけるといいですが…

トランプ氏の言動には色々問題はありますが
ある意味、破壊的な言葉を
次々に送り出してきたという点では
すごいな、と思います。

fake newsという言葉も
彼が広げたし
alternative factsも
そうですね。

自分が気に入らない報道は
嘘のニュース(fake news)だし

間違ったことを強引に正当化するのが
別の事実(alternative facts)

これは第一次政権の頃の言葉ですが
現政権だとMAGA
(Make America Great Again)

強い言葉ですね。

どの言葉もトランプ氏が初めて
使ったわけではないようですが
彼の言葉として強烈な印象を
残しています。良いか悪いか別として。

僕も工務店さんの
言葉のお手伝いをしている身なので
人のつむぐ言葉というのは
あれこれと気になります。

最近、よく見るな〜という言葉が

手が届く
(あるいは「手の届く」)

そう書いている住宅会社のwebサイトを
くまなくみても
価格が書いてあるケースはごく稀です。

手が届く、ってなんなんでしょう。

絶対的な情報ではないのに
自分の「届く範囲」を当てはめさせる
マジックワードですよね。

例え1億円の家でも
手が届く人がいるから
建てられているわけだし
1000万円でも
手が届かない人だっています。

手が届く、というのは
自分にも可能かもしれない
と思わせる心理的余白であって

本来、それだけだと
価格に対する価値は
一切伝わらない言葉だなあ…

どのぐらい手を伸ばせば良いのか
ぐらいはわかったらいいのにね。

主語を抜いてもなんとなく伝わるのが
日本語のあいまいさで
そのあいまいさは僕も好きだし利用もしますが

あいまいさを免罪符にして
伝えるべきことまでボカすのは
ちょっとなあ…

なんてこというと
広告コピーなんか作れなくなっちゃうなあ。

すまん、これfake blogってことで(爆)