宮城県高校野球連盟が「殺す」とか「刺す」とかの言葉を辞めようぜ的検討を始めたい、みたいな報道に、びっくりというか大笑いというか。
野球という全国的なスポーツの言葉を、一県の高野連がどうこうしよう、というのもおかしいし、何より、「言葉」に対してリニアすぎる。
物事はもっと複雑だし面白いのに、言葉と結果が絶対的な一対一だと思ってんのかな、曲がりなりにも教育の現場でさ〜。
でも、ブログ的には大歓迎のネタだな〜。
「盗塁」は、じゃあ例えば「間隙進塁」とか
「刺殺」は、「補退」とか
「併殺」は、「平退」とか?
「死球」は…「タヒ球」?
世の中は、きっと、大喜利みたいになってんだろうな〜。
なんか、「退却」を「転進」と言い張った、旧日本軍と、根底は似たものがあるのかも…
転進、って、言葉を変えても戦況は一ミリも変わらなかったわけです。
言葉を丸めたところで、退却は退却。負けは負け。
じゃあ住宅関係の「殺す」「盗む」…はやめといて、別の「言葉」の話にします。
昔から言われていることですが、家を買うと家をつくる(建てる)の違い。
買う、には、文字通り「つくる」という要素がなくて、出来合いのものを購入する、そんなイメージが、ずっとありました。
ただ、「買う」と「つくる(建てる)」には、もっと決定的な違いがあります。
買う、は、完全に、お客さん側の立場での言葉。仮に工務店側から見たら「売る」になります。
では、「つくる(建てる)」は?
これは、どちらかというと、工務店側すなわち作り手の言葉に見えます。だって、実際に建てるのは工務店だし。
ところが、この言葉は、施主側の言葉としても用いられます。
つまり、売り手も買い手も、同じようにつくる。
でも、この「つくる」、売り手と買い手で同じ字を使うわりに、実際にやっていることはだいぶ違います。
買い手にとっての「つくる」は、要望を出すこと。
壁紙は白がいい、収納は多めに、家族の気配が感じられる家に…
自分の暮らしをイメージして、それを言葉や図面に変換してもらう。
つまり、つくる主体は自分の中にあるイメージで、実際に手を動かすのは工務店側。
一方、工務店にとっての「つくる」は、手を動かすことそのもの。
図面を引いて、材料を選んで、現場で組み立てる。
同じ「つくる」なのに、主語の置き場所が真逆なんです。
工務店さんの中には、「売る」メンタルでつくっている人もいますし、「つくる」メンタルで売っている人もいます。
ちょっと、ミスマッチな気がします。
いい家をつくれば、いずれお客さんは気づいてくれるはず、みたいな職人的な誠実さは、家づくりには絶対必要です。
でも、それを「売る」言葉にそのまま横流しすると、たいてい伝わりません。
なぜかというと、"つくる"は手を動かした本人にしか実感できないプロセスで、"売る"は、まだ何も手を動かしていない他人の頭の中に、その実感をゼロから作る作業だから。
これ、似てるようで、本当に別の技術です。
"いい家をつくる力"と、"いい家だと伝える力"が違う、と言えば、わかりますよね。
つくるのが上手い人が、売るのも上手いとは限らない。
(逆もまた然りで、口が上手い人が、いい家をつくれるとも限らない)
まあ〜、でも、同じ「つくる」を、どちらの方向からも共有できる仕事って、いいですよね〜。
