静岡市にある登呂遺跡。
ここには、弥生時代の集落を
復元した建物が立ち並んでいます。
住居の根源的な形を見て
今の住宅のことを改めて
考えてみよう、というお話です。
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登呂遺跡訪問記ではありますが
来訪の動機は別の建築です。
実は、ここには人間国宝の染色家
芹沢銈介美術館が併設されています。
メインのお目当ては実はそっち。
白井晟一の晩年の作品です。
ところが…
休館中。
残念すぎる!
仕方ない、塀だけ撮影…
それと、記念碑。
↓こちらは、柳宗理のデザインです。
気を取り直して、設計者不詳の
弥生建築群(復元)を見ていきましょう。
↑住居と倉庫(手前)。
住居は、一見すると
「竪穴式住居」に見えますが
地面に穴を掘る竪穴式ではなく
周りに盛り土をしています。
この登呂遺跡は弥生時代のもので
住居や倉庫の跡だけでなく
水田が同時に確認されています。
水田があるからか、少し掘ると
水が出てきてしまうので
竪穴式ではなく盛り土なわけですね。
所変われば姿も変わる。
建築様式はこうやってできていったんだなあ。
倉庫は高床式。
これも地面の湿気を嫌ったもので
さらに「ねずみ返し」と呼ばれる
板が仕掛けてあります。
オーバーハングになっていて
ネズミが中に侵入できないという
仕掛け。
この倉庫がやがて
祭殿になっていったようです。
弥生時代は途中から
鉄器が使われるようになった
(とか教科書で学んだなあ
覚えてなかったけど)
使われている材の多くはスギで
石で削っていたのか
浮造りのようになっています
↓(復元ですけれど)
下部にはぐるりと
羽目板が回されていて
防水の役割も担わせたかったのだろうけど
まあまあ染みてきています。
当時はどういう状態だったのだろう。
傷んだらやりかえていたのか
廃棄して住み替えていたのか
どのぐらいの人数がこの家に住んでいたのか
わからないことも多いですが
考えるのは楽しいですね。
さて、暑い日でしたけど中は涼しい。
やっぱり茅葺のように
熱容量の大きなもので
日射を遮るのが正解かな…
でも、冬は寒いだろうなあ、この家。
↓続いて祭殿。
倉庫よりもはっきりした神明造りです↓。
倉庫が祭殿になっていくというのは
米が神事に使われることの
原点のような感じでしょうか。
弥生時代のものなんて
参考になるの?
と思うかもしれませんが
住まいに何が求められていて
どうやってそれを
実現しようとしてきたのか
そういうことに思いを馳せるのは
住宅設計者としては
とても大事なことのはず。
暑さ、寒さ、外敵から生命財産を守る
そういう機能は現代住宅の方が
圧倒的にいいのは当たり前だけど
↑手前の弥生時代の集落と
奥の現代建築
果たしてどちらが美しいだろう?
形には理由があり
理由ある形は美しい。
自然のものが美しいのは
それが機能的だからなのでしょうか。
根源的な建築もまた
機能を追い求めたものであって
だから美しく見えるのかもしれません。
たまにはこういう
原始的なものに触れて
感覚をリセットしてみるのもいいね!