山本理顕さんの「閾(しきい)」的なことが大事

山本理顕さんが今年のプリツカー賞を
受賞したとのことで
一般にも広く報道されていますね。

NHK NEWS WEBより

すごいことです。
この「建築界のノーベル賞」という
表現はどうも好きになれませんが…

ご本人の談

ほかの建築家と違って強い社会的な提案をする私の建築は、賞とは結び付かないと考えてきたので、本当に驚いてしまって、アイム・ベリー・ハッピーということば以外、なかなかいいことばが思いつきませんでした(先のニュース記事より)

現代の住宅は「一住宅一家族」が
基本ですが
山本さんはそこに疑義を呈しています。

確かにほとんどの
住まいは「家族」のために作られていて
工務店もハウスメーカーも
基本はそれを当然のように「売り」にしています。

いかに家族が
安全に快適に低コストで
そして「プライバシー」を守って暮らせるか。

プライバシーを突き詰めると
住宅はどんどん閉じていきます。

窓などは断熱性能の低くて価格の高い壁
ぐらいの扱いになってきて
できるだけ窓を作りたくない
なんて話もよく聞きます。

そうして出来上がった
快適な室内空間。

家の中にいたら快適だけど
外には一切開かない。

そんな家がずらりと立ち並ぶ地域は
本当に良い地域と言えるだろうか?

かくいう僕も別に生活を丸ごと
他者にのぞかれるのはもちろんごめんです。

でも、全ての家が門扉を閉ざして
カーテンや雨戸も閉め切っていて
という町を歩くととても寂しい気持ちにもなります。

じゃあ、そこをどういう塩梅で
調整したらいいんだろう?

そのための考え方の一つが
山本さんが提唱し続けている
「閾(しきい)」なんでしょう。

閉じているか開いているかというのは、物理的に遮断されているかどうかではなく、空間相互の交流になんらかの制約があるかどうかという話なのだと思う。そして、<閾>がその制約である。
(山本理顕・著『住居論』より)

「閾」がパブリックな空間で
その奥がプライベートな空間

この「閾」がうまく作れれば
社会に開きながらプライベートも
確保されたいい家ができる

と言いたいところですが
そんなに簡単ではありませんね。

「閾」は、家族という単位で考えれば
時にそれが庭だったり
玄関だったりするかもしれませんが

個人の単位で考えると
個室というプライベート空間に対して
リビングが閾なのかもしれません。

とにかく
図面に「閾」と書いたところで
成立はしないので

パブリックとプライベート、「閾」的なことについて
僕たちももっと勉強しないといけませんね。