愛溢れる、三内丸山遺跡

三内丸山遺跡に連れていってもらったら、これがまた素敵なお話を聞くことができまして


1万年と2000年前から愛してる〜♪

縄文時代って
1万2000年〜1万3000年くらい前から
1万年ほど続き

日本の「〇〇時代」のほとんどは
縄文っていうから驚きですが

その期間に
戦争らしいものもなかったらしい。

すげえなあ〜

なんてことを
青森で見せてもらった
三内丸山遺跡で感じるのでした。

この遺跡を含む
「北海道・北東北の縄文遺跡群」が
世界文化遺産に登録されています。

三内丸山遺跡は、縄文時代のうちでも
約5,900~4,200年前ごろのものだそうです。

当初は野球場建設工事が進んでいて
もうスタンド席ができているぐらいの状態まで
進んでいたそうです。

しかし、当時の知事の英断で工事は中止
遺跡は保存され、結果、世界遺産にもなるという
すごい顛末です。

「遺跡が出てしまった」
というのは建設関係者にとっては
大抵の場合、ネガティブな現象ですよね。
工事は中断されるわ金はかかるわ…

そのために着工済みの工事を
なんていうことはなかなかできない
(公共だからこそできたのか)

なんてことを含めて案内してくれたのは
ブログ仲間のなるちゃん(僕は初対面です)

本業は眉ソムリエなる
これまた不思議な職業ですが
本業でないはずのこのガイドもプロ級で

縄文時代、というのが
単に大昔ということではなくて
僕らのルーツになっているって実感させてくれる
愛溢れる素晴らしいガイドでした。

↑お墓(復元・実物はこの下にあるそうな)

子どもが大人まで育つ率はすごく低いので
子どもは集落で大事に育てられていたみたい。

↑住宅の原点

↑ちょっと建築っぽくなる

この六本柱が何だったのかは諸説あり
どうやって作ったのかも謎

とりあえず屋根は見つかっていないので
屋根なしで復元したそうです。

現在も遺跡の調査は継続しています。

茅葺業者、地元にやるとこあるのかな?
と聞いてみたら、県内(つがる市)の業者さんとのことでした。

縄文時代前期は今よりも気温が高く
その後に低温化したため
人々は南下していったらしい。
その中に僕のご先祖もいたかもしれないな…

なかなか子どもが育ちきらないから
みんなで大事に育て

仲良く暮らさないと生きていけないから
戦争もなく集まって暮らし

そして何よりきっと
政治・宗教的リーダーが存在しなかったことが
戦をうまなかった決定的原因かもしれませんね。

普段から、一人で生まれて大きくなったような
そんな気になってしまうことも多いですが
そういう歴史がなければ生まれてきてもいないかも。

親や、直近のご先祖だけでなくて
そういう歴史の積み重ねで今があるんだと
たまには、こういう偶然に思いを馳せたりしてもいいよね…