昨日は春分の日でした。
昼と夜の長さが等しくなる日、って説明をされることが多い日です。
暑さ寒さも彼岸まで、なんて言ったりもします。
ありがたさと迷惑のはざま
実際に、暑さ寒さが彼岸まで、かどうかは別として、この頃から、室内に届く太陽の日差しが、「ありがたいもの」から「迷惑なもの」に変わっていく、のかな〜
冬は部屋の奥まで入っていた日差しが、あんまり入らなくなってきています。

窓から入ってくるものが、ありがたいのか迷惑なのか、この難しい季節こそ、設計のチカラが試される気がします。
チカラを試されたくなかったら、窓をとにかく小さくしてしまって、季節の影響を少なくして機械で空調してやればいい。
それはある面では正解なんでしょう。なんでしょうけど、設計って、別に暖冷房負荷を小さくするためだけのものじゃないですよね。
そういう観点で見てしまうと、窓だけでなくて、いろんなものがワルモノになってしまいます。
「暖房負荷軽減のために有利」なはずの内部発熱は、逆にオーバーヒートの原因にもなり得ます。
もちろんこのへんも計算することは可能なわけですが、しかし、「定めた室温」を実現するために、
人体はともかくとして、じゃあ家電を減らしましょう、なんてのは本末転倒な気がします。
少なくとも、生活者の視点からは。
窓から得られるもの
窓を小さくする、少なくすることで、「省エネルギー」は得られるかもしれませんが、その時に何を失っているのか。
僕んちの庭では、この頃から落葉樹が芽吹いてきます。
鳥もやってきます。ウグイスの、ホーホケキョって鳴き声、可愛いよね〜。
鳴き声がすると、ウグイスいるのかな、と期待して窓の外を見たりします。
でも木にとまっているのはメジロだったりする。まあ、メジロも可愛い。
スズメもきます。スズメなんて珍しくないだろ…ってこともなくて、最近だと、メジロよりスズメの方が少ないかも?

窓から得られる、変化する景色を楽しめることだって、豊かなことだし、風、光なんかを、暖房負荷、冷房負荷、というワルモノとして定義しちゃうのも、味気ないなあ。
ま、一応お約束で言っておくけど、個人の感想です。
優先順位の問題ではあるけれど
もちろん、みんながみんな、芽吹きとかウグイスとかに興味があるわけじゃない、ってことはわかっています。
とか言いながら、実のところ、暖冷房負荷の削減と、ウグイスを愛でる世界は、決して相反するものではなくて、いい感じで両立することは可能です。
ただ、その「いい感じ」のモノサシに個人差があるし、前者の方が売りやすい、ってことなんでしょう。
売りやすいのは数値の方だし、入口として数値を使うのは全然いい。
でも、その先にウグイスがいるかどうかで、誰と出会えるかは変わってきます。
最初はモノやスペックに惹かれて来た人が、「この人たちと家を建てたい」と思う。そういうことが、実際に起きます。
同じものをだいじにしている人は、必ずどこかにいる。
どうやって見つけてもらうか? いや、見つけるか、かな。
逆はいっぱい見つかるんだよな〜。
言葉は引力を発揮するけれど、斥力にもなる。
