大切な人とのお別れ

田瀬理夫さんがお亡くなりになってしまいました…いろんなものを授けていただいた恩を、誰かに返していきたい


田瀬理夫さんが亡くなってしまいました。

最後にお会いしたのは2023年の10月。前職での最後の仕事の日でした。
そのあと少しして倒れられて、3年弱の闘病もむなしく、9月1日に旅立ってしまいました。

昨日、お通夜が開かれたので、謹んで参列させていただきました。


田瀬さんから受けた影響は計り知れません。
僕自身は造園家でも建築家でもありませんから、直接のお仕事のテクニックのようなことを学ぶ、というのとは違います。
ただ、その見識とか、視座、視野の広げ方みたいなものに憧れて、少しでもそうありたい、と。

はじめてお会いしたのはOMソーラー時代、「地球のたまご」の計画のときでした。
2001年とか、そのぐらいかなあ?

手元にある写真で、一番古いツーショット写真がこれ。
ツーショットじゃなくて集合写真の端ですけど。

僕はこの写真の田瀬さんより、年上になってしまいました。
が、年をどんな風に重ねてきたか、と考えると、なんだか恥ずかしい…

当時、田瀬さんと一緒に拾い集めたコナラやアラカシを庭にも撒きました。
この出会いがなかったら、雑木の庭にはなってなかっただろうなあ…


昨日、奥様とお話をさせていただいたら、僕のような者のことも知ってくれていました。
田瀬さんがお話してくれたのかと思うと、ちょっと涙ぐんでしまいました。
大きな影響を受けたこと、一緒にやったお仕事の、時間を経て結実している様子などを少しお話させていただきました。


なんてことをブログに書いていいのか悩みましたが、色々と受けた薫陶を残していく必要もあるかな…
今日はお別れだけの話ですけれど、田瀬さんから教えてもらったことは、折に触れてブログでも書いていこうと思います。

お別れの時、井伏鱒二の勘酒訳「サヨナラだけが人生だ」にあたることも多いのですが、さらにそれをひいた太宰治の『花吹雪』から

「サヨナラだけが人生だ」という先輩の詩句を口ずさみて酔泣きせし事あり。

酔泣きしています。