人間力とか、経営力とか、クソ野郎とかの研究

人間力は鍛えられるのか。あるいはどうしてクソ野郎が生まれてしまうのか。その威力を目の当たりにするたびに、そんなことを考えます。苦労のベクトルが、分岐点なのかもしれない。


プロ野球の監督さんが、娘に暴行したとかなんとかで逮捕、監督辞任だそうで。
まあ、ひとんちのことだし、どこまでどうなのかわかりませんけど、自分が経営者だったら、こういう監督を、どう扱うだろう? あるいは自分が監督だったら、辞めるかなあ?
まあ、ケースバイケース、としか言いようがないかしら。

ところで、野球選手って、選手としての訓練ばかりしてきて、選手として実績を残すと監督にあがる、みたいな感じですけれど、監督としての訓練って、してないんだよな〜? してんのかな?


というのは、工務店にも言えたりして。

例えば、設計力が売りの工務店で、では設計力が優れている人が、次の社長に相応しいか、というと、必ずしもそんなことはないし、営業がバリバリの人が社長に向くかというと、やっぱり必ずしもそうでもない。
まあ、小さい工務店の場合は、会社経営と現場の実務の両方をやらなきゃいけないから、選手兼監督的な大変さがあります。
(プロ野球の監督は…経営ではありませんが…まあ、ものの例えで)

もちろん、そういうマネジメント力、ってのも、経営において重要な要素なんでしょうけど、小規模工務店の場合、もっと大切な力があるなー、って、最近よく感じます。

おめ〜何様のつもりだ、ってのは承知で書きますけど。

工務店の経営者に限りませんが、
すごい人間力だなあ、という人と出会うことがあります。
嬉しくなります。
いやあー、類は友を呼ぶ、というか、これも僕の人間力の賜物かな、なんて思ったりします。

なんじゃこのクソ野郎…みたいな人にも出会うことがあります。
悲しくなります。
いやあー、類は友を呼ぶ、というか、これも僕の人間力の低さ、なんだろうか?


人間力が高い人は、受け答えがハッキリしていて、返答の速度もはやい。
多分、意思決定もはやいんだろう。
その答えが、こちらの望むものかどうかは別として、やり取りによどみがなくて、でも押し付けとも違ってて、気持ちいい。

なんじゃこいつ、の場合、会話もうまく進まない、というか、言葉を濁してるというか、柱がないというか。
そういう人に、家を任せられるかなあ?

仮に自分が後者だったとして、では、人間力って、鍛えられるんだろうか?
その手の勉強会とか、本とか、確かにあります。でも、身につけようと思って身につくものでもないのかもしれない。天性のもの、と言っちゃうと身も蓋もないけど。

まあ、人間力、が、絶対的なものとは限りません。
相性、というか、そんなこともあるかもしれません。
だから、あんまりこんなこと考えても仕方ないんだろうけど。

ただ、住宅業界においては、この人間力、馬鹿にできない威力を発揮すると考えています。
だって、お客さんは、いくら勉強していると言っても、所詮机上の知識でしかありません。
もちろん局所的な分野では工務店を凌駕しているお客さんも存在するんですが、それでも。

知識を振りかざして要求してくるお客さんも、実は不安の裏返しなのかもしれません。何千万円も支払って、自分が希望するものを作るなんて、ほとんどの場合はじめてで、不安に決まってます。

その不安を払拭する要素の一つに、工務店の社長の、あるいは担当者の人間力があるのは否めません。

これ、営業力とは違う気がしています。
営業力の強い人って、不安を先回りして支えることが得意だったりします。
でも、人間力というのはもう一回り大きいというか。


それでも、人間力なんて関係なく仕事になっている人は、もちろんいます。
商品力とか価格とか地の利とか、いろんなプラス要素がありますもんね。

でも、それって、もっといい商品が隣で売ってたら、もっと安く隣で売ってたら、成立しない売り方でもあります。

もちろん、商品(って言い方も、ちょっとはばかられるけど)力も価格も大事だから、それを突き詰める必要もあるんだけど、やっぱり、家の場合、特に注文住宅の場合は、任せられる人、一生付き合う人、という要素が重要じゃないかな〜。

じゃあ、どうやったら人間力が身につくんだろう?


鍛えた人というより、たくさん痛い目を見てきた人、という印象もあります。
現場でお客さんの不安を何百回と受け止めてきた人が、気づいたら人間力がついていた、みたいな。

なんじゃこいつな人は、苦労してこなかった人なのか、というと、そう単純でもなくて、苦労のベクトルが間違っちゃった人、というほうが近い気がします。
苦労を「俺はこんなに大変だった」の方向に使い続けると、むしろ人を遠ざける側になる。苦労が「自分の痛み」で終わるか、「他人の痛みへの想像力」に変換されるか。

そこが分岐点なのかもしれない。

もちろん、いい人もクソな人も、そんなことを想像して向かっていくわけではないのだろうけど。

僕も、苦労を間違った方向に使ったり、してたかもしれない。巻き返したいなあ。こんなブログ書いてたら、ダメかなあ。


ところで、体育会系の人って人間力が高めの傾向が…あるかなあ?

『ヤンキーの虎』という本がありました。地方の優良中小企業の経営者に元ヤンが多い、という話です。
僕の地元でも、ああそういう人いるな、という感じです。
工務店経営者にも、そういう人、いるかもしれません。

この人たち(の一部)の人間力が高めなのは、「ヤンキーだから」でも「体育会系だから」でもなくて、「理不尽を大量に経験しているから」じゃないかな〜と思います。

ヤンキーはそれに加えて、地元に根を張って、顔と顔で渡り歩いてきた人たちです。
関係性の作り方が体に染みついている、という面もあるのかもしれない。

理不尽な先輩、理不尽な練習、理不尽な負け。それを受け止め続けた人は、他人の不条理にも動じにくい。工務店の現場なんて理不尽の塊ですから、そこでも折れない。

あれ? じゃあ、会社を理不尽にしたら、スタッフの人間力、高まるのだろうか…?
いや、違うよな。体育会系や元ヤンが、全部人間力が高いわけではありませんから。

理不尽×本人の資質×何か、の、掛け算なのかな?
まあ、知らんけど。
いやあ〜、こんな感じの都合のいい人間力で、よかった。