村上龍さんが亡くなったそうです。
ブログでは、出来るだけ、敬称をつけるようにしているけど、なんか、この人には合わないなあ。
今回は呼び捨てでいかせてもらおう。
村上龍が亡くなったそうです。
まだ若いのに、ショック…と思ったら、74歳とのこと。
僕は彼の小説に、それなりに影響を受けてきました。
『69』を読んで、高校とは家畜を作るところなんだと思い込んだし
『走れ!タカハシ』で、他人に勝手に何かを投影することの素敵さと滑稽さも学んだし
『愛と幻想のファシズム』は、高校生にはちょっと刺激的すぎましたけど…
って、これらみんな、10代半ばの話だなあ。
あと、翻訳だけど、リチャード・バックの『イリュージョン』も、すごく衝撃的で、本を人に配ったりしてましたが、なぜか手元にあるのは佐宗鈴夫さんの訳のものだけ。
好きだった気がしてたけど、振り返ってみたら、著作で最後に読んだのは『半島を出よ』で、これも2005年だから20年以上前。
だから、まだ若いのに、なんて思っちゃったのかな。僕の中では、この頃で村上龍像が止まっていたようです。

これは、工務店とお客さんの間でも起きている気がします。
一度見たホームページ、一度行った見学会、一度もらったパンフレット。
お客さんの中の「あの工務店」は、たぶんそこで止まっています。
会社の側は毎年変わっているのに。
スタッフが入れ替わったり、仕様が変わったり、考え方が変わったり。
僕が20年前の村上龍を、今の村上龍だと思っていたのと同じです。
今の姿を知ってもらうには、新しい情報を足すより、古い像が残っていることに気づく方が先なのかもしれません。
自社のサイトで一番古い情報はどこにあるか。一度探してみてもいいかもしれません。
(と、無理やりそういう話にしてみたけど…無理があるかなあ?)
振り返ってみたら、『走れ!タカハシ』をブログに書いてた。
幅広いブログだなあ(棒読み)

と、他人に色々投影してみました。
そうそう、『すべての男は消耗品である』にある、この辺り
だが、そんなことはどうでもいいのだ。オレは、こんないい女と短い間だったが付き合えてよかった、と思った。
感動の本質なんて、たかだか、そんなものだ。全員が自分勝手に生きていて、他人のある感情や表現が、自分の内部のコードに触れると、勝手に感動するだけなのだ。
どうしてオレは感動したのだろう?
オレは、男だろうが女だろうが、制度を利用してずるく生きる者が嫌いだ。
制度を利用するというのは、結婚詐欺のことではない。計算ずくで結婚する女達だ。
止めよう。
アホらしくなってきた。愛のない結婚は不毛だ、なんて思わず口走りそうで恐い。今回は一体どうしたのだろう。疲れてるのかな。
オレ自身、モラルの片らもないことをよく知っているから、人妻を誘惑するのだけはいやだ、などと、お利口ぶってるだけかも知れない。
転向しようかな。
僕は勝手に投影して、勝手に内部のコードに触れて、勝手に感動しているのです。
感動をありがとう、とかは絶対言わない。勝手に感動する。

