皆様こうされています、という選択肢(?)

施主として家を建てるということは
一生にそう何度もある話ではありません。

その限られた経験の中で
いろいろなことを決めなければならない。

その選択肢やら選択の主導権やら
そんなことについての話です。

引き続き私事ですが
義父の葬儀がありまして
色々考えるところがありました。

僕は葬儀会社の打ち合わせに
参加していなかったので
直接的に今回の葬儀で感じたこと
というわけではありませんが

「お葬式を執行する側」としての
立場というのは

人によっては全くないかも
しれませんし
そこそこ回数がある方も
いるかもしれませんが

家づくりと同じく
やはり一生でそう何度も
ありませんね。

葬儀の場合も
葬祭会場を選んだり
祭壇の規模やデザイン
生花やら骨壷やら

いろいろなものを
選ぶ必要があります。

住宅に比べれば
いろいろな選択肢は少ないのですが

なにぶん経験値が少なく
予習も不十分。

かつ、決定まで何日も悩む
なんてこともできません。

そんな時の決まり文句は

皆様こうされていますよ

という言葉。

自分で決定できないことを
誰かにすがりたいときに
「皆様」が選んでいるならいいか!

と、顔も知らぬ皆様
選択の決定権を委ねてしまう…

ように見えるけど
実はそんな「皆様」は
存在するかどうかもわからず

実際は「業者の担当者さん」
の嗜好・思考・ノルマなどの
ことかもしれませんよね。

こうして書くと悪意を感じる
かもしれませんが
そういう思いは全くなく

むしろその方がいいんだと
思っています。

客は経験値に乏しく
選択のための眼力もない

ただなんらかのイメージが
あるはずで

お葬式なら
個人の信仰状況とか
弔問客の規模感とか
うるさい親戚の有無とか

その辺を嗅ぎ取って
こういう提案にしておくのが
いいかな、という結果の一つが

「皆様こうされている」

という言葉に集約されているわけで。

家づくりでもそうですよね。

「皆様〜」という言葉を
使わなくても

自社が普段作ってwebなどで見せているものは
「うちに来る皆様はこういう家を建てています」
という宣言に他ならないので

そこにブレがなければ
お客さんも迷いが少なくなるし

アレもあるコレもある
なんていう風に見せていると
お客さんは悩むし
打ち合わせ時間も長くなる

きちんと
絞り込まれたものであれば

選択肢は少ない方が
結果は良くなることが多いので

まずは自分がモノを絞り込んでいるか…
自戒をこめながら、記しておきます。