ちょっと日が経ちましたけど
国分某が芸能活動自粛とか
しかし公式には
重大なコンプライアンス違反
としか発表されていないので
憶測だの事情通の話だのが
飛び交う状態で
ワイドショー界隈は大喜び?
中居某の時もそうでしたが
(お相手に至っては
被害者かどうかも明かさず匂わせるばかり)
罪と罰のバランスが悪い…?
↑『罪と罰』(ドストエフスキー)の挿絵
左が主人公のラスコーリニコフ
右は酒ばっか飲んでてどうしようもないマルメラードフ
若い頃はラスコーリニコフに
感情移入して読むもんだと思ってたけど
今はマルメラードフかなあ…
ってのは置いといて
刑事事件じゃないにしても
罰だけは公表しますが
罪は公表しません。
って
仕事を失う人が出るだけで
社会が良くなる材料が
どこにもないんじゃないか?
というようなことが
工務店業界にもあったりなかったり…
とある、クレームが多い工務店がありました。
(皆さん正直に言わないだけで
そこが特別じゃないかもしれませんが)
忙しかったり、横の連絡が不十分だったり
という下地があるからか
つまんないミスが結構出るようです。
しかし、それを
つまんないミスをしました
とお客さんに説明しないので
例え結果的に対応してくれたとしても
お客さんにはモヤモヤが残るんでしょうね。
そういう体質の中にいると
社員も「はっきりさせるよりごまかす」
という体質になっていくので
いつまで経っても治らない…
でも発信だけは
いい感じのことばかり出しているので
当のお客さんからすると
なんだかなあ…
という気持ちが募るかもしれません。
クレームを公開している工務店もあります。
もちろん100%公開じゃないでしょうし
現在進行形のものは出せないでしょうから
これもお客さんのモヤモヤが残る可能性はあれど
新規の方に対しては誠実に映る可能性が高いですし
社内でもクレームは誤魔化すものというより
共有して改善すべきもの、という雰囲気になるといいなあ…
(お客さんに対して、ではなくて
社長が怒るから誤魔化す、という方が多いかも)
説明してもわからないだろうと
結果だけをお届けしようとしちゃう
ということは往々にしてありますが
今や、結果よりも途中経過の説明の方が
重要かもしれない。
先日、電車に乗っていたところ
途中駅からなかなか発車せず
なんでも架線にビニールがかかったので
取りに行っているけど
結構遠いので時間がかかってますみたいなアナウンス
結果的に1時間弱止まっていたんですが
その間にも何回かアナウンスが入りました。
(まあ、同じ内容なんですが)
これが、原因も、今やっている対策も
何にも説明せずに
「停車信号です。しばらくお待ちください。」
だけだったら
結構モヤモヤ…というか、イライラしますよね。
途中経過とか中身の説明とかって
大事なんだな〜と僕も反省しております。
全く余談だけど
『罪と罰』を読まない
という本は、『罪と罰』を読んでない人や
挫折した人にも最高におすすめです。