「ファン」の方向は一方向じゃないかも

ファンマーケティング、と言われて久しいですけど、お客をファンにする、というだけでなくて、お客のファンになる、という必要もあるかな〜、なんて、ファンマーケティングで総理大臣になった人を見て思いました


先日、ディープ・パープルが来日しました。
高市総理がファンだということは以前から公言していたらしく、表敬訪問という形で対面が実現しています。

ここまでは「ロック好きの総理がレジェンドバンドに会った」という微笑ましいニュースで終わった話です。問題はその後です。
高市総理はTAMAのドラムスティックに自分のサインを入れて、ドラマーのイアン・ペイスに渡したそうです。
でも、イアン・ペイスはPearlのエンドーサーで(スティックはPerlではなくPro-Markだそうですけど)、そりゃちょっとどうよ…ですけれど、それはそれとして、僕が気になった問題は別のところです。

方向が逆なのでは?

ファンがプロに会いに行ったとき、サインをするのはプロの側です。ファンはサインをもらう。これは誰でも知っています。

それが「自分のサイン入りのスティックを渡す」という行為になった時点で、何かが逆転しています。

しかしこの逆転、もしかしたら、アリなのかも。

家づくりに限らず、いろんな業界で「ファンマーケティング」が言われています。
お客さんをファンにしよう、と。
ブログを毎日書く、なんてのも、ファンマーケティングの一環と言えます。
要するに、好きになってもらいたい。

この「ファン化」と似て非なるかな、というのが「神格化」です。

行列系というかスーパー系というか。
施主が家を建てに来ているのに、気づいたら工務店が主役になっています。
自分たちが得意な工法の話を延々とする。自分たちが好きな素材を推す。
打合せの場が、施主にとって「説明を受ける時間」になっている。
プレゼン資料は会社の実績で始まり、会社の理念で終わります。

「お客様のことを一番に考えています」と言いながら、やっていることが「自分のサイン入りのスティックを渡す」になっていないでしょうか。


お客さんをファンにする、ファンを見つける、ファンを育てる。そういうことも大切ではあります。サイン貰いてえ〜、と思わせること。

ただ、もう一方の視点が抜けていることが多い気がします。

「自分たちがお客さんのファンになる」ということです。

ファンというのは、相手のことを知りたがります。
何が好きで、何を大切にしていて、どんな暮らしを夢見ているか。
聞かれなくても調べるし、覚えています。
そして相手の話をするとき、自然と目が輝く。

果たしてそのようになれているか。金ヅルに、見えちゃってないか。
まあ、金ヅルであることは全面否定しません。でも、ただの金ヅルじゃなくて、お互いにファンであり、必要なことでお金のやり取りがある、そんな関係がいいですよね。


少し個人的な話をすると、僕は日本酒が好きです。クライアントの皆さんは、大体知ってると思います(ビールもワインもジンも好きですが)。

でも好みに合わない日本酒をもらっても、正直ちょっと困惑したりします。飲みますけど。
もらったことはありませんが、パソコンを使っている、という理由でWindowsをもらっても困ります(普段はMacユーザーです)。

「好きなものがある人」を知っているのと、「その人の好み」を知っているのは、まったく別のことですし、好きなものがあればあるほど、そのこだわりは難しいものになるわけです。
こんなこと書いて、お酒もらえなくなるとヤだなあ…。

というのはともかく、そういう姿勢があって初めて、打合せの主役が施主になります。プレゼンの起点が施主になります。渡すものの向きが、正しくなります。

相手の立場に立つというのは、「自分が主役でない場面を想像できるか」ってことかも。
それなのに、主役になろうとしている作り手、多くないですか?

サインをするのは誰で、サインをもらうのは誰か。
その向きを間違えると、どんなに熱意があっても空回りします。
ま、ファンマーケティングとやらとは、違う話だけどさ。