お客さんには本来の意味で「あきらめて」もらおう

欲望実現を生業にしてきた工務店がその思考を転換したら、お客に正しく「諦めて」もらえる、かも


よく言われることですが
諦める
の語源は
明らむ
だったりとか

仏教にある
諦観
という言葉だったりとか。

諦観の解釈も色々あるだろうけど
ここでは
本質を見極める
みたいな解釈でいきますね。

予算の都合で…
敷地の事情で…
家族の意向で…

なんていう具合に、住宅の計画は
色々と諦めて
希望が何割引かになった家が建つ

というのはよくある構図です。

あれもしたかった
これもしたかった
という気持ちを

お金の事情などで
実現できなかった場合

心の底に残念な気持ちが
残ってしまうかもしれません。

例えば
フルコースの料理を食べたいけど
予算の都合でコース料理の
一番安いやつにした

という行為と

アラカルトで好きなものだけ
取り入れた料理と

気持ちの上でどっちが幸せか?

ま、これは例としては分かりにくいですが
諦めるという
気持ちを残して前に進むのは
よくないんじゃないの

ということです。

だから
真の意味で諦めてもらう
ための発信が必要だな〜
と強く感じています。

お客さんは家を建てる時に
アレが欲しいコレが欲しいと
思いを口にすることもあれば

あるいはアレやコレが
あって当たり前
と思い込んでいることも

そのアレやコレは
お客さんが望む暮らしに
本当に不可欠なのかなあ?

(いくら間仕切りや建具が多くても
まあ、こんな家はないだろうけどさ…)

先日、とある住宅を
お客さんにどう説明するか
(あるいはしないのか)
なんていう話になりました。

そこには廊下がありません。
建具による部屋の仕切りもありません。

多くの方が思い描く住まいは
まず欲しい「部屋」があって
それを繋ぐ廊下とは扉で仕切られている

そんな間取りが
作り手はもちろん
特にお客さんの意識には
まだまだ根強く残っているので

初めて見ると
あれ?
という印象があるかもしれません。

夫婦の寝室があまりにオープンだと
○○○の時に気恥ずかしいとか
そんなことも心配かもしれません。

(モンゴルのゲルなんかだと
家の中には家族がいるから
そういうコトは外でするとかしないとか…)

この辺も含めて
あって当たり前と思っていることは
本当はなくても良い
あるいは、ない方が良い

そんなこともあるわけです。

建具が減れば当然
建築費用は下がるし

空間がつながっていれば
おかしなダクト配管なんか
しなくても空調が届く

そういうようなことわり
きちんと伝えていくと

お客さんも
気持ちよく諦め
くれるんじゃないかな

なんて僕は考えるけど
お客さんの要望を叶える
という思考が根強い住宅業界では

なかなかその切り替えはできないようです。

だからこそ、さっさと切り替えて
突き抜けたら強い
、よねえ?