「本物」はなぜ見つからないのか、というめんどくさい話

Instagramが「現場報告」になっていませんか?  それじゃあお客様には届かない。本物と偽物の区別がつかないスマホ画面の中で、どうやって「選ばれる」存在になるか。


電車の中でもカフェでも、あるいは信号待ちのわずかな時間でも、みんなスマホの画面に夢中です。

その中で、何かを探しているようで、実はただ、流されているだけなのかもしれません。

「いい家」を探している人たちも同じです。

あなたの工務店は「ここにいるよ」と声を上げていますか?
それとも、じっと誰かが見つけてくれるのを待っていますか?

もし後者だとしたら、それは遭難者が救助隊を待つのと同じくらい、心細く、そして危険な賭けだと言わざるを得ません。

今回は、そんな「見つけてもらう」ことについての、少しめんどくさい話です。

「知らなかった」という残酷な言葉

ある工務店の社長さん、広報スタッフさんとのミーティングの際に、こんな話になりました。

もう他所で建ててしまった方が、後から自社のことを知って、「知っていたらお願いしていたのに」と言われてしまう…

これ、工務店にとっても、そのお客さんにとっても、残酷な話です。

作り手である工務店側は、どうしても「いい家を作っていれば、いつか伝わる」「本物は分かる人には分かる」と考えがちです。

それはある種の職人気質な美学としては美しい。
美しいですが、その美しさが果たして届くだろうか。その前に、露出が多いどっかの誰かにさらわれてしまうのではないだろうか。

お客様にとって最大の悲劇は、数千万円の買い物をする際に、比較検討の土俵にすら上がれずに終わることです。知らないままならまだしも、建てたあとで知ってしまったりすると、後悔の元です。

「知らなかった」という理由だけで、選択肢から消えている。
「知ってもらえば」、つまり土俵に乗ることができれば勝てる! というところも多いのですが、土俵に登ら(れ)ない。

これは、未来の顧客に対する親切心が足りない、と言われても仕方がないことなのです。

「本物」も「偽物」も同じ顔

「うちはインスタもやってるし」という声が聞こえてきそうです。
でも、ここにも落とし穴があります。

スマホの小さな画面の中では、「本物」も「偽物」も、驚くほど区別がつきません。

スカスカのおしゃれ風住宅も、こだわりぬいた職人の手仕事による住宅も、インスタグラム上でフィルターを通せば、同じような「#丁寧な暮らし」に見えてしまうのです。

さらにタチが悪いことに、見た目に全振りしている「偽物」(と言ってはなんですが)の方が、往々にして写真映えが良く、ハッシュタグの使い方も巧みだったりします。

そして、広告もモリモリ出しているので、どうしても目には触れます。

そんな中で、真面目な工務店のアカウントを見ると、どうでしょう。
「今日は地鎮祭でした」「刻みの作業中です」……。

厳しいことを言いますが、それはただの「業務日報」です。
お客様へのラブレターになっていません。

「職人の技」は尊いものですが、それが「お客様の生活にどういいのか」まで翻訳して伝えないと、それはただの独り言としてスルーされてしまう、んだろうなあ。切ないね。

あえて「旗を振る」勇気

だからこそ、あえて言いたい。「広告」を使いましょう、と。

オンライン広告をしたがらない工務店も結構います。
金で釣るみたいで嫌だ、と。

でも、ここで言う広告は、無理やり売りつけるための拡声器ではありません。

情報の海で遭難しかけている未来のお客様に、「ここに安全な島がありますよ」と知らせるための狼煙であり、道しるべです。

100人のうち99人が素通りしてもいいんです。

「まさにこういう家を探していたんだ!」というたった1人のために、お金を払ってでも旗を振り続ける。

それは「売り込み」というより、自分たちの家づくりを必要としている人への、ある種の責任です。

ただし、派手な旗で呼び寄せた後に見せるのが、中身のないポエムであってはいけません。

広告を出したら、それを受け止める場所もセットで用意しておかないと。

そこがしっかりしていれば、たとえ最初はお金を使って呼び込んだとしても、お客様は「見つけられてよかった」と思ってくれるはずです。

沈黙は金ではない

職人の腕、厳選された自然素材、こだわりの設計。
それらは本当に素晴らしい「本物」の要素です。

でも、沈黙を守っているだけでは、その「本物」は、あるのかないのかさえわからなくなってしまう(シュレーディンガーの猫みたいだね)。

「知らなかった」と後悔する人を一人でも減らすために、もう少しだけ厚かましく、泥臭く、「ここにいるぞ」と叫んでもいいのではないでしょうか。