本日は桃の節句なり。
ですが僕は、雛人形がある家に暮らしたことがありません。
生家には女きょうだいがおらず、自分の娘には雛人形を買ってあげませんでした。
欲しがられもしなかったし(まあ、生まれたてだと普通欲しがらない)、その後も欲しいとは言わなかった、と思う、多分。
でもなんか、この時期になると、ちょっと後ろめたいのです。
七段飾りは置けたのか?
ドーンと15人が7段に並ぶ七段飾り。前述の通り我が家にはありませんでした。
七段飾りの歴史はそんなに古くなくて、戦後の高度成長期にバカ売れしたそうです。やっぱりね〜、当時は結構いろんな家にあったような気がします。
あんなの置くとこないよな、と言いたいところですが、置いてあったんですよね。
しかも、高度成長期の頃の家は、決して今より大きな家、とは言えません。1973年の戸建ての平均延べ床面積は94.6平米。最近は120〜110平米(平均ですよ)ということですから、面積を見るとだいぶ狭い。
じゃあなんで、あんなデカいもの、置くとこあったんだろう?
家が狭くても良かった理由
昔の家が、今より小さな面積で成立していたのは、もちろん一人当たり面積が少ない、つまり人と人との距離は近かったわけですが、それだけが理由でもなさそうです。
考えてみれば、ちゃぶ台とかお布団とか、「片付けられるもの」が多かった。
今は、ダイニングテーブルと椅子、ベッド。みんな出っ放し。つまり面積を取り続けるわけです。
そういうものがなかったら、同じ面積でも、ちょっと広く感じるわけで、そういうカラクリで高度成長期の頃の家は、狭いようで狭くなかったんだろうな〜。
目的が決まった小さな個室ばかりの家だと、そうはイカのキンタマ。

今からそこに戻れるか?
じゃあ今から、椅子をやめてちゃぶ台に戻れるか? 毎朝全員分の布団の上げ下ろしができるか?
もちろん、やってる人もいるでしょう(僕も布団の上げ下ろししてます)。
でも、タイパ悪いよな〜( ´∀`)
共働き子育て世帯にそれを強いるのは酷かもしれません。
昔に戻ろう、ということを言いたいわけではありません。
ここで言いたいのは「空間を畳む」という、かつての日本家屋が持っていた機能です。
ちゃぶ台を畳む。布団を畳む。
それだけで、一つの部屋がリビングにも、ダイニングにも、寝室にも、そして雛祭りのステージにもなるわけです。
用途を限定しない、潔い余白とでもいうようなものが、昔の家にはありました。
可能性を固定していないか
現代のプランニングはどうでしょう。
部屋には名前が付いていて、図面にもベッドやテーブルが記入されています。
わかりやすい。でも、それは、可能性を固定することではないか?
確かに、竣工時の空間の完成度を高めることにはなるわけですが、ちゃぶ台お布団的な畳める要素は見当たりません。
寝るためだけの部屋を、日中も使える何かにできないか?
ソファという巨大な置物がないリビング、広いんじゃないか?
個室という壁を取り払って、家具で仕切る可変性を残せないか?
住まい手にちゃぶ台を強制はできないけど、空間の使い方は提案できるかもしれない。
いや、そうやって先回りするだけでなくて、住まい手の想像力を邪魔しないことこそ、設計の妙なのかもしれない。
まあ、七段飾りを置くより、ソファーを置いた方が生活は豊かになると思うけど、逆の人もいるかもしれないから、決めつけちゃいけないな。女の子だから雛人形、って決めつけだってよくないな。
雛人形がないまま娘も家を出て、小さかったはずの我が家は広くて持て余しています。
今なら余裕で七段飾りも置けちゃうよ。
家づくりの仕事は、「部屋を売る」んじゃなく、「舞台を作る仕事」ってことだな〜。
