住まい手はノイズじゃない

家の「性能」を求めた結果、住まい手の行動がノイズ扱いになるとしたら、それは違う気がする。


今日は「CO2削減の日」の日。
「シー(4)オー(0)ツー(2)」の語呂合わせ、なんですけど、申請したのは浜松市のリサイクル・リビルド自動車パーツでCO2削減を言っている会社さんだそうです。

新しいものが、古いものと比較して、ランニングコストでCO2削減になるのは、まあ当たり前の時代になりました。
でも、もうあるもの(作っちゃったもの)を使う、というのは、大事な視点だけど、多くの場合、抜け落ちていますね。

住宅の場合、CO2削減のためには、無駄なエネルギーを用いないこと、ということで、断熱強化をする、というのも理にかなっています。

ここまでは、僕も賛成。

ですが、この先は、気になることが出てきます。

先日も似たようなことを書いたんだけど、大事なことなので2回言います。


家の空気温度・湿度を一定に保ちつつ、エネルギー消費(この言葉は不正確だけど、あえて用いましょう)を低減させる。
これも、快適な空間を作り、ランニングコストも減るので、いいことばかりのはずです。

しかし、こうして計算された環境の中で、計算に乗りにくいノイズを発生させるものがあります。

そう、他ならぬ住まい手です。

お料理だってします。調理の熱や水蒸気は冷房負荷。換気で夏はさらに冷房負荷、冬は暖房負荷。

共働きで洗濯乾燥機はありがたい。冷房負荷です。

花粉症の方は、部屋干しだってしたい。冷房負荷です。

そして、人間は本質的に自由な生き物なので、思わぬ行動を取ることがあります。

真冬でも、窓を開けたくなったりします。暖房負荷です。

高温多湿の夏でも、やっぱり窓を開けたくなったりします。冷房負荷です。


それはもう、住まい手の選択だし、責任でもあるので、どう暮らそうが別にいいじゃないか。
僕はそう思います。

しかし、設計者の中には、こういうことを、室内環境に対するノイズだと感じている人がいるようです。
まあ、はっきりそういうメッセージを発信している、というケースはそうそうありませんが、潜在的にそういう思いを抱えている人はいる、ような…

「家族が多いと冷房負荷になるから、家族を減らすのがいい」

なんてことは、もちろん誰も言わないんだけど、発想の先には、そういう終着点があったりして。
理想の家族人数はゼロ人! みたいな。
(逆に、冬の暖房負荷削減のため、子どもをどんどん産んでください、とか?)

本末転倒です。

ここまでは行かないけれど、しかし、窓を開けないでください、というメッセージを出す作り手は少なくない。

つまり、こういうことですよね。

窓を開けずに空調をして環境を保っているのだ、お前はそれを乱してはならない。

先にも書いたけど、人間は自由な生き物なので、冬でも夏でも、窓を開けたくなったら開けたらいい。
それを作り手が制約するようなことなど、あってはならない(という断定もしたくないけど、ここはしておこう)。

もちろん、開けたくないなら、開けなければいい。でも、開けたら引き換えに手に入るものもある、ということは伝えていきたい。
少なくとも、僕はそういう作り手と仕事がしたい。


それでも、もちろん、暖房負荷・冷房負荷が無駄に多い家は良くないとは思います。
もったいないし、不快だから。

けどそれが、作り手のイデオロギー実現のためのものになっていると、僕はおかしな気持ちになってしまうのです。

ラベリングは目安であって、目的ではないよな〜。
ってのもイデオロギーか。ムズカシイ…

住んでいる人間が自由に暮らしても、まあまあいい環境にはなりますよ、なんて感じでいいんじゃないだろうか。