読書『その落語家、住所不定。タンスはアマゾン、家のない生き方』


佐塚です。金、土、日は目の前の仕事とはちょっと別のことを書き散らかすことにしました。


僕らの仲間の工務店は、家を建てることを生業にしている。
などと当たり前のことをいちいち書くのは、家がない、ということを声高に宣言するこの本を読んでしまったからだ。

『その落語家、住所不定。タンスはアマゾン、家のない生き方』立川こしら著/光文社新書

家は外敵から身を守るもの→身を守らなくていいってことは最強だ! という俺強え理論。
所有する必要などなくて、特徴や特性を理解すれば、それは「持っている」と解釈する力。

衝撃を受けたのは、家(この場合持ち家、ということではなくて、定住するところ)を持たないことで、「家に帰らなければならない」というリスクがない、と言い切るところである。

家に帰らなければならないというリスク。なんという言葉だろう。家に帰ってホッとしてくつろぎたい、とか、寝に帰るだけだけど、とか、家に帰る、ということは、大なり小なり安らぎを得るものであろうと思っていたが、あろうことかリスクであると。

著者は落語家であり、落語をやる、という目的に必要ないものは持たない。家に帰るリスクがないから、誘われればそこにいくし、滞在してもいいし。

そして衝撃的なことは、日用品やら服やらは、まとめ買いしてAmazonに出品、自分で必要な時に買う。たまに誰かが買ってくれる。これがサブタイトルにある「タンスはアマゾン、家のない生き方」である。

衣、食、住それぞれに所有しない生き方を提唱しているが、やはり住に注目すると、「最初からパーフェクトなモノを手に入れようとするから覚悟が必要になる」(厳密には車の例で、家や車、という例えでの説明)、「住居に様々な役割を持たせすぎてしまった」など、ガツンとくる言葉ばかり。

自らのためにカスタマイズする注文住宅は、まさに「パーフェクトなもので覚悟が必要」、そして「様々な役割を持って」いる。
かつての住宅では、例えば風呂は公衆浴場、洗濯も共有の洗濯場など、住宅に役割を持たせていない部分もあったが、今は住宅にあらゆる役割が詰め込まれている。隣の家にも同じ役割のものがある。こんなものまで所有していなくても、地域でシェアできたらそれでいいんじゃないか、なんて常々思っていたことが、一周か二周ぐらい先に見えたような気がする。

「家がないんですよ」というと、冗談だと思われ、冗談ではないとわかると、触れてはいけなかったという空気になり、それがいい、と著者はいう。それが普通に受け入れられては、自分やこの本の価値がなくなるから、と。

そんな時代はこない? いや、でも世の中では何度もいろんなパラダイムシフトが起きてきたのだから、普通家なんかないよね、という時代が絶対に来ないとは言えない。そんな時代はまだ先で、心配はひとまずやめておくにしても、モノを所有するというのはどういうことか、お金と価値の考え方等々、住まいに関わるビジネスに携わる人は必読、と言っておこう。