イタリアに行ってきました
僕以外の家族がね
(昨日に続いての導入だと寒いな…)
写真を見せもらっていたら
気になるところがありまして
あちらもちょうど落葉の時期で
街路樹がこんな感じ
車にも道にも
どさどさと葉っぱが落ちています。
綺麗だね〜
可愛いゴミ箱(?)の周りにも
いっぱいの落ち葉が。
僕はこれを美しいと思いますが
どう思いますか?
ひるがえって日本にて
イチョウの落ち葉を
ブロワーで集めていました。
車がまあまあいる時間帯に
わざわざ車道にて。
日本では街路樹の手入れ作業を
わざわざ人通りの多い時間にやる
と聞いたことがあります。
かつて、そうした作業を
夜間の人通りが少ない時に
やっていた自治体が
結局、街路樹の手入れに対しての
クレームが減らず
わざわざ人目につく時間に
やるようにしたら
クレームが減ったんだとか…
なんたるアホな話か
僕はそう思いました。
落葉樹を植えれば
落ち葉が落ちてきて当たり前
イタリアの社会は
そう考えているのでしょう。
(もしかしたら
掃除を怠けているのかもしれないが)
これが日本だと
街路樹から落ちてくる落ち葉は
迷惑なもの
管理責任者がしっかり対応しろ!
という人が本当にいるのか
いるかもしれないから
先回りしているのか
わかりませんが
落ち葉を一生懸命
燃えるゴミとして集めたり
挙げ句の果てに
枝のほとんどを剪定してしまい
何のための街路樹なのか
なんてことがよくある。
葉っぱぐらいそのうち
どっかに行っちゃうんだから
放っておけばいいのにな…
なんて思うんですが
ダメなのかなあ…
(濡れた落ち葉って
オートバイでは滑るので
怖いけどね)
この街路樹問題だけでなく
社会が不寛容だな
と思うことがたくさんあります。
建築工事中だって
大きな音や路上駐車で
即クレーム
クレームは来ないかも
しれないけど
そのためにピリピリ
お客さんは
落ち葉の手入れが困るから
木を植えたくない、とおっしゃる
なんて経験、多いですよね?
自分ちを建てた時だって
周りに影響が出てるんだから
近所で家が建つ時だって
それが当たり前
落葉樹から葉が落ちるのも
当たり前
と思えばいいのに
不寛容な人が多いね〜
この不寛容さは
日本の伝統なのか
近年の変化なのか
僕には判断がつきかねますが
イタリアに行っていた
友人に聞いたり
書物を読んだりする限り
イタリアの人たちは
まあいっか!
明日はきっといいことある!
というノリの人が多いみたい。
これがラテンの血なのか
よくわかりませんが
日本も、もうちょっと
まあいっか
という人が増えたらいいのにな…
それでも
イタリアからは
建築だって芸術だって
自動車だって
世界に冠たるものが
輩出されている。
日本の人たちが好きな
「仕組み」とかそういうものと
違うところで
モノを生み出してるんだろうな〜
感覚だけではモノづくりは
できませんけれど
感覚を排してしまっては
人の心を打つものは作れない。
そう信じています。
もっと自分の感覚を
信じて仕事しようぜ。