合理的に手を抜くことの正当化

丁寧すぎるので、手も抜きます。いや、手を抜くって言葉は悪いな。必要なところにちゃんと手をかけたい。


日曜恒例メシの話

年末年始はお節を作ったり七草粥を作ったりと、ずいぶん「丁寧」にやってしまった。

料理をするのは好きなので、苦にはならないけど、黒豆みたいに長時間煮るものもあってか、ガス代にはっきり影響が出るぐらいにエネルギーコストがかかったし、材料だって、多分完成品を買うより高くついてる。

それでもやるのは、年始の料理にコストパフォーマンスもタイムパフォーマンスも求めていないから。

とはいえ、そういうものばかり食べていると(作っていると)、たまには色々崩したくなるもので、たまにはこんなものも食べる。

冷凍の五目かた焼きそば。300円ぐらい。

ちょっと解凍ムラがあった…でもこれで十分美味しいし、パッケージのまま食べちゃえるのでお皿もいらない。準備もないし洗い物もいらない。

楽チンである。

繰り返すけど、たまにはいいと思う。

食べ物は何回も何回も食べるものだから、全部こんな食事がたまにあってもいい。

食べ物に限らず、なんでも手作りがいいか? 状況によるけれど、否、と言わざるを得ない。

再現性とか、品質のばらつきとか、当然、お金だけという意味ではないコスト(調達の手間、作業の手間、かかる時間、それらが結果的に乗っかるお金)

例えば五目かた焼きそばを手作りしようとしたら、麺は市販品を使うのか、麺も自分でうつのか。

「五目」の部分でベストが尽くせれば、麺は市販品でもいいかもしれない。もちろん、逆もまた然り。

住宅も、全部手作り、とはいかなくなってはいますが、どこに手仕事を残すか、で、姿勢が問われると感じています。

大工の技、とか言いながら、完成した家には全く木が見えない、そんな家もよく目にします。(もちろん、見えなくなったところに技がある、と信じたいですが)

裏を返すと、必要な質にたどり着くために、その質を左右しないものだったら、最善(最速、最安)を目指してもいい。

でも、その「必要な質」が何なのかを、ちゃんとお客さんにもわかってもらって、自分たちの価値にしていかないといけませんね。

……と、ここまで偉そうに言いつつ、五目かた焼きそばを食べる僕は皿も使ってません。
洗わなくていいのが最高です。
なんて書いちゃうと、思想が台無し? いや、手間をかける場所を選ぶって話です!