『しらふで生きる』ということ

酒をやめて1ヶ月、僕の言葉の代わりに、町田康さんの名著(だいたい名著だが)『しらふで生きる』にあたってみる。


日曜恒例メシの話。というか、酒の話?

昨日で10月も終わり。
10月から酒をやめましたので、ちょうど1か月。

あんなに飲んでたのがウソのように、一滴も飲まなくてもなんとかなってしまっています。

禁酒のバイブル? 敬愛する町田康さんの『しらふで生きる』にはこんなくだりがあり

つまり酒を断つこと、というか自分がそんなおかしなことをしているということを認めたくなかったので、いままで意図的にこの言葉を使わないできたが、使ってしまおう、禁酒・断酒というのは常に自分のなかの正気と狂気のせめぎあいであって、飲みたい、という正気と飲まないという狂気の血みどろの闘いこそが禁酒・断酒なのである。

そうか〜、意外と簡単にできてしまっているから、僕は正気か狂気のどちらかが勝ってしまったんだな、なんて思っています。

この状態を知ってか知らずか、人と会っても酒の誘いも全然なく(やめたんですよね、とは言われたりするので、知ってるのかな)、穏やかな日を過ごしていたのですが…そこに悪魔のささやきが。

温泉宿に泊まって宴会するけど欠員出たからこない?と。

当日の朝にそんなことを突然言われて、ホイホイ行くようなヤツはそうそう居るまい。
…僕以外では。


さて宴会、というか会食です。
お品書きが書いてあって、お料理が運ばれてくる宴会ストロングスタイル。

僕が飲んでいるのは、かつては、なぜこんなものが存在しているのか、不思議で仕方なかったアレ。

ノンアルコールビール。

いやお前、ビールじゃないだろ。

ドイツのビール純粋令では、元来認められていたのは大麦・ホップ・水のみ。
という意味では日本のビールのほとんどはビールじゃないんだけど。
(酔っても酔わなくてもこの辺の面倒な感じは変わりませんが…カラメル色素とか甘味料とか、やだなあ)

ノンアルコールワイン。

品種はシャルドネらしい。

という具合で、なんとか宴の最後まで漕ぎ着けました。


まあ、普通に食事は楽しめたけど、同席した人が楽しかったかは、別問題だなあ。

『しらふで生きる』にもこんな風にある

飲んでいるときは濃密だった人間関係が次第にあっさりとしたものになっていく。

それだけならよい。ただこれはあくまでも可能性というか推論というか、まあそういうことだが、そんなことが続くと、「付き合いの悪い奴」という評判が立ち、やがてそれが、「陰気な奴」に発展し、それが、「吝嗇」「変人」「頑迷固陋」と分化していき、そのうち、「変態」「狂人」「顔を見るだけで嫌な気持ちになる男」「殴りたい男ナンバーワン」みたいなことになって、社会から孤立して、その日の生活にも困るようになって陋巷に窮死、ということになるかも知れない。

なる、かも知れない。

けれど、世の中にはいいことがあったらその裏に悪いことがあるものなので、酒を飲もうが飲むまいが、どっちにもいいことと悪いことがある、はず。

翌朝は、綺麗な朝の風景を爽やかに見ることができました。

まあ、これからも宴会には行くし、二次会は多分帰るけど気分次第では行くかも知れない。

まあ、禁酒・断酒は人にはすすめませんけど、この本は単純に面白いから、オススメだなあ。

『しらふで生きる』

町田康さんのことは他でも書いてます。

発注者側の意識を文学作品に学ぶ
地域の一隅を照らす工務店を応援したい佐塚です。昨日は、鹿児島での二日目。だったんですが今日は土曜日だし、ちょっと中休み。息抜きに読書系のネタを楽しんで書かせていただきます!僕は、このブログでは封印しておりますが長文が書きたくて仕方がない。こ...

あ、ここでも『しらふで生きる』書いてた〜。
この時は1ヶ月しかもたなかった、って書いてあるけど、今は、1ヶ月と1日、もっています。