前に『「風の谷」という希望』のことをブログに書きました。

まだ全部読めてない、なんて書いてあるなあ。
1年近く経つけれど、まだ全部読めていません。
面白い本なんだけど、なんか、読み進められないのです(重いからかな?)
副読本というわけじゃないけど、同じく安宅和人さんの『イシューからはじめよ』があったなあ、と。
これもだいぶロングセラーになった本で、ご存知の方も多いでしょう。
知的な生産性を劇的に上げるためには、「問題を解く」前に「解くべき問題(イシュー)」を見極めなければならない。
世の中で「問題かもしれない」と言われている100のことのうち、本当に今白黒をはっきりさせるべき問題はせいぜい2つか3つしかない、というお話です。
読み返していて、どうしても気になるのが
「踏み込んではならない『犬の道』」
横軸に「イシュー度(課題の質)」、縦軸に「解の質」をとったマトリクスです。

(同書より)
バリューのある仕事(右上)を目指すときに、一心不乱に大量の仕事をして、労働量によって上にいき、力づくで右上に到達しようとするアプローチを、著者は「犬の道」と呼んで強く戒めています。
イシュー度の低い仕事をいくら解の質高くやり遂げたところで、受益者から見た価値はゼロに等しい。
徒労感が残るだけで、仕事が荒れ、粗製濫造に慣れてしまって「ダメな人」になってしまう、と。
あれ〜?
僕がこうして毎日毎日、欠かさずブログを書いているこの行為は、本書でいう「犬の道」そのものではないのか?
僕が毎日ブログを書くようになってから、3年半ぐらいです。
最初はそのためのコミュニティにも参加し、名刺にも「毎日更新」なんて刷り込んでしまったし、とにかく毎日書く、ということが目的になっていました。
例え酔っ払いが書いたコタツ記事であっても、数だけは積み重ねてきた。
でも、それって、イシューの解決でもなければ、バリューもほとんどなかったりして?
これって、典型的な「労働量による自己満足」なんじゃないのか。
安宅さんは、努力や根性に逃げるなと容赦なく書いています。
もし僕の日々の発信が、「とにかく更新を途切れさせないための作業」になっていて、読者である工務店の経営者にとって「今すぐ白黒をつけるべき課題」に何ひとつ触れていないのだとしたら。
それは、いくら推敲して文章の体裁を整えたところで、バリューとしてはゼロに等しいわけです。
お、毎日書くのやめるのか? という前振りに思った人もいるかもしれませんが、ここで自分のことは棚にあげて、読者さん、クライアントさんの「犬の道」を糾弾してみます。
工務店さん向けの広報のお手伝いをしていると、似たような光景によく出会います。
とにかくSNSに発信しろ、ブログを更新しろ…
出会うというか、僕自身がけしかけていたりして。
結果として何が生まれるかというと、現場の進捗写真に「今日も暑いですが職人さんが頑張っています!」と添えただけの業務日報や、ネットで拾ってきた「無垢材のメリット・デメリット」を綺麗にまとめただけの二次情報(AIクソブログ)です。
(日報もAIクソブログも、勧めてはいませんが)
書いている本人は、毎日ネタを絞り出し、時間を削って投稿しているから「ものすごく努力している」気になります。
けれど、家を建てようと真剣に悩んでいる見込み客から見れば、その記事を読んだところで、家づくりの不安が解消されるわけでも、その会社を選ぶ決定的な理由になるわけでもない。
投下した労力だけが膨らみ、顧客にとっての判断材料になっていない状態。
まさに、情報発信における「犬の道」です。
自社の強みや、その土地で家を建てることの本当の難しさ、あるいは「なぜうちの家はこの価格なのか」という、施主が喉から手が出るほど知りたい本質的な問い(イシュー)から目を背けて、手近な「作業量」に逃げてしまう。
そして、AIが、この「犬の道」を助長しているなあ〜。
犬の道へ進むのが、早くなろうが、便利になろうが、仕方ないのに。

安宅さんは、こうも書いています。
「一次情報を死守せよ」と(本人も、先輩からの教え、と言っていますが)
現場で何が起こっているのかを見て、肌で感じない限り、本当のイシューは見極められない。
そして、優れた知的生産のサイクルを回すためには、日々の現実の中でファクトを観察し、思考する訓練を繰り返すしかない、と。
工務店が向き合うべき本当のイシューとは何なのか。
それは、「どの断熱材が一番優れているか」でもなければ、「どうすれば他社より坪単価を安く見せられるか」でもないだろうな〜。
お施主さんが本当に白黒をつけたいのは、もっと切実で、生々しい問題です。
「大手ハウスメーカーの安心感を捨ててまで、なぜ小さい工務店に人生最大の買い物を託すべきなのか」
「背伸びした住宅ローンを抱えて、10年後、20年後も笑ってこのリビングにいられるのか」
そこから目を背けて、日々の現場写真に「今日も頑張っています!」とか、AIに作らせた家づくりノウハウを大量投入する『犬の道』の発信が、果たしてそういう問いに答えているだろうか?
施主が一番知りたい「理由」に、自社の泥臭い一次情報をもって答えを出す。
それができない発信は、どれだけ毎日積み上げたところで、相手にとってはノイズでしかない、と、自分を棚に上げて言ってみます。
僕にとっての毎日のブログは、完成された「バリューある論文」を世に問う場というよりは、現場や日常で拾った違和感を捕まえ、思考の解像度を上げるための「素振り」のようなものかもしれないな、と思い直しました。
クライアントとの雑談の中で感じた引っかかり。
移動中の新幹線で目にした光景。
食べた料理の仕込みやら、酒を飲んだとかやめたとか。
そうした雑多な日常の一次情報から、「これって、あの問題と同じ構造じゃないか?」と無理やり抽象化し、言葉に落とし込んでみる。
毎日書くという強制ギプスを自分にはめていないと、僕のような怠け者は、日常の違和感を「まあいいか」と右から左へ受け流してしまいます。
受け流してしまえば、そこから新しい問い(イシュー)が立ち上がることもありません。
つまり、毎日書くこと自体がバリューなのではなくて、毎日書くことを通じて「本当に考えるべき問い」を見つけ出す網を広げ続けている、のだと。
……いやあ、我ながら見事な自己弁護ですね。
言い訳の解の質だけは、やたらと高い気がします。

