米沢は前田慶次郎利益
通称「前田慶次」が
晩年を過ごした地です。
金沢から京都へと
華々しく暮らしていた
慶次がどうして米沢で隠遁したのか。
その地はどんなところだったのか。
なんてカッコつけて書いたけど
要するに「推し活」だ!
「いくさ人の誓い」より。
佐々成政を打ち負かすも首は取らず。
自分の意地を通すのは大変だけど
「だがそれがいい!」
原作・隆慶一郎、作画・原哲夫の
『花の慶次』が週刊少年ジャンプで
連載を開始したのは1990年頃。
主人公、前田慶次郎利益(慶次)
のことをざっくりと紹介すると
前田利久の養子となりながら
家督が告げず、前田家を出奔
その後、上杉家の直江兼続と親交を深め
上杉家に仕官
上杉が米沢に減封された際も
そこに同行して米沢にて生涯を終えた
とされています。
史実だとそんな感じらしいのですが
『花の慶次』の原作となった
『一無庵風流記』では
傾奇者
として自らの美学を貫いた
そんな人間として描かれています。
「唸る野獣の剣」から。
虎や狼が日々鍛錬などするかね
僕らは虎でも狼でもないので
鍛錬しないと強くなれませんが
そんな真似をしなくても、強いものは強いんだ。
刀槍の錬磨をする暇があったら、もっと楽しいことをするよ。
(一夢案風流記より)
そう言われると、そんな気がしちゃう!
「傾奇」とは「歌舞伎」と
語源を同じくするもので
本来の意味は
「頭を傾ける」
原作・漫画ともに慶次が
天下人の豊臣秀吉に謁見する際
髷をあらぬ方向に結い
単に見た目がおかしなだけの
男かなと思いきや
「傾奇の花道!」より
髷は正対しているが
顔は横を向いている。
好きだわ〜!
この際ネタバレですが
実は秀吉を暗殺しようと
この場に挑んでいて
結果的に暗殺は行わず
(失敗ではなく秀吉を改心させる)
この後、慶次は正装し
きちんと礼儀を守って接見しています。
他にもたくさん見どころはあるんだけど
(酒が異常に強いとか)
慶次のいう傾く、ということは
奇妙な格好をするとか
そういうことではなく
自分の美学を貫く
それに尽きるのです。
そんな慶次が
上杉家の直江兼続に惚れて
米沢で生涯を終えた。
そんな地を見てみたいな〜と
金山の帰路に米沢に寄ったわけです。
こちらは、慶次が月見や遊山を
楽しんだという月見平。
米沢をパノラマで見下ろす場で
ここで慶次が直江兼続と
酒を飲んでいたのか〜
月見平のある堂森善光寺にある
慶次の供養塔。
月見平で一献、と思って持ってきた
ハイボールを捧げてきました。
(そこは日本酒だろ?)
慶次の屋敷・無苦庵跡。
屋敷に引かれていた水は今も
農業用水として使われているそうです。
宮坂考古館なる場所には
慶次や兼続、景勝、謙信の
甲冑も展示されています。
慶次直筆の手紙なんかも
あったりして
やっぱり実在してたんだな〜と
再び興奮!
ここは中が撮影禁止で残念。
撮らせておくれよ〜。
もらったパンフレットから
甲冑の写真。
僕が認識している「前田慶次」という像は
隆慶一郎と原哲夫によって作られた
いわば架空の人物で
実在の人物とどこまで一致し
どこまでがフィクションなのか
わかりません。
わかりませんけど
そこに確実にそのモデルになった
人がいたんだと実感できた
僕には十分に満足できる旅でした。
花の慶次の原作者、隆慶一郎は
脚本家として活動していて
小説を発表したのは還暦を過ぎてから。
なぜ小説を手がけなかったかというと
師事した小林秀雄が存命の間は
師に読まれるのをビビって
発表できなかったのだとか。
えー!
ちょっと、傾いてないね〜。
さて、僕は隆慶一郎とも
前田慶次とも比ぶべくもありませんが
自分の美学を追い求めたい!
と、元気が出た推し活でした。
たまにはこんなのもいいよね!
傾くなら傾き通せ!