まだまだ続く「秋山東一を思い出す会」の話、というか、そこから展開する話。
展示品の中に一台のコンピュータ。

Macintosh 128K。
Macintoshの最初のモデルです。
128Kってのは、メモリ。DRAMです(メモリも最近不足して高騰している)。
128KBって、今僕がこのブログを書いているMac(24GB)の1/196,608。
19万分の1以下。
CPU的なものは、Macintosh 128KのMC68000に対して、今使ってるM4は、浮動小数点演算だったら、多分数百万倍(テキトーに書いてます。そのぐらい桁違い)。
できることは、今の方が圧倒的に多いし速い。
でも、なんでもできそう、という気持ちが膨らんだのは、もしかして、初代Macの方かもな…?
Macintosh 128Kに惹かれるのって、なぜなんだろう?
ノスタルジー? ストーリー? 意匠?
まあ、全部当てはまるとは思いますけれど。
ちょっと傾いたモニター一体型のボディ。
GUIとマウスが普通になった瞬間。
「Hello I am Macintosh」というプレゼンシーン。
そういうことを知っているかどうかで、このマシンの見え方は全然違ってくるのです。
まあ、でも純粋に可愛いよね。キーボードは使いやすそうじゃないけど。
ともあれ、こういう問いを立ててみたくなります。
「性能」で選ばれるものと、「体験」で選ばれるもの。
ゴリゴリに性能を追い求めたかったら、今はMacよりWindowsの方が優れている、と言っていい状態です(昔も、だいたいそうです。Macユーザーは認めないけど)。
性能だけなら他の選択肢があるのに、なぜ惹かれるのか。
そこまでの性能がいらない場合もあるけれど、今でいうUX(ユーザー体験)の違い、ってことじゃないでしょうか。Windowsは未だに画面に表示されるフォント、汚いし。
というのと同じような話が、家にもあるなあ、と思います。
性能ばかりいうところ、家事楽ばかりいうところ、職人の技術ばかりいうところ。
必要なのは、それぞれを組み合わせて、良い「体験」に導く、ってことなんだろうな〜。
それが「デザイン」ってことだ。
そういえば、昔、Apple絡みでちょっとしたやり取り(?)をした時のことが、秋山さんのブログに書かれていました。
うーん、なんか、この頃のアップルのUXは良くなかったりして?
というわけで、ブランドにおんぶにだっこでもいけないけど、やっぱり「デザイン」を信じたい。
「思い出す会」の話じゃなくて「思い出す」話になっちゃいましたけど、ご容赦を。
シリーズは次回で完結、のつもりです。
