雨水・お雛様のコラムを書いた


佐塚です。
「びお」で祖父江ヒロコさんの絵にあわせてお届けしている二十四節気のコラム、「雨水・お雛様を出す」を書きました。

雨水・お雛様を出す - 祖父江ヒロコ / 佐塚昌則 | おひさまと二十四節気
雨水にお雛様を出すと良縁に恵まれる、とか。

祖父江さんのところでは、女の子はご本人だけで、小さなお雛様を出しているとのこと。
我が家には、妻と娘がおりますが、実はお雛様がありません。なんでかなーと記憶を遡っても思い出せないので妻に聞いたら、そのうち買おうといいながらそれっきりになったと。それでいいのか。

僕の生まれ育った家でも男兄弟だけだったので、お雛様はなし。桃の節句には雛人形ではない何かが出ていたよなあ…という程度で、お雛様についてどうこう語れる経験を持っているわけではないのですが。

本編の方にも書きましたが、雛人形をさっさとしまわないと結婚が遅くなるだの出来なくなるだのという話があります。
まことしやかに諸説ありますが、「季節のことをきちんとやらないような女性は妻として娶ってもらえない」というような、やっぱり呪いのような民間伝承らしく、とはいえ、こんなことを本当に信じて実行している家庭がどのぐらいあるのかはわかりません。

もう10年以上前に読んだ内田樹の『呪いの時代』という本のことを思い出しました。

呪いとは、記号化の過剰だ、と。
そして、全能感を求めて作品を作らず批評する、実力がないほど攻撃的に呪いの言葉を吐く、と。
あれ、何か自分に返ってきたような気がする。
呪いを解くのは祝福だけ。他者への祝福が自然と出るような気の持ちようでいたいなあ、と、確か10年前にも思ったんだけど、どちらかというとまだまだ呪っているかもしれません。油断するとすぐ呪ってしまう。

できるだけ祝福の言葉でこのブログを続けられるといいなあ、と自分を戒めておきます。