いわゆる活字中毒の佐塚です。
文字が目に入っていないと落ち着かなくて、食事の時も、お醤油のラベルの文字だとか、そんなものをついつい読みいってしまいます。
醤油のラベルでもいいような人間にとって、新聞には大量の文字が含まれていて、もはやそれだけでLOVE、です。
以前はいろいろと変えたりもしたけれど、このところずっと、紙の新聞は地元の静岡新聞を購読してきました。
ところが、その静岡新聞が、夕刊を廃止することになったのです。
まあ、別に夕刊を読まなくても速報的なニュースは入ってくるし、夕刊のコンテンツは通信社から買ったような記事も多いし、夕方必ず読まなきゃいけないようなものではないよなあ。
夕刊廃止について、静岡新聞のFAQでは以下を理由としています。
「スマートフォンなどのデジタル端末でニュースに接する人が多くを占めるようになり、今後も拡大する見通しです。デジタルを活用してニュースの速報性の強化と多様な切り口の情報発信、暮らしやエンターテインメントの情報の充実を図ります。紙の朝刊と並びデジタルサービスを拡充させることに経営資源を集中させるため、夕刊の廃止を決めました。 」
この流れは、いずれ「紙の朝刊を廃止し、デジタルサービスの拡充」になるんでしょうけれど、それがいつになることか。
中日新聞にすると、少しお金を追加すれば東京新聞の電子版も読めるので、この機に切り替えてみようかと、お試し購読を始めた次第です。
僕の実家がある静岡市では、静岡新聞が圧倒的なシェア(7割以上だとか)ですが、浜松になると、5割以下に低下します。浜松では中日新聞を購読している人が多いんですね。中日新聞は、愛知県を中心とした東海圏でよく読まれている新聞で、静岡県でも西の方(愛知県に近い方)に来るとシェアがだんだん高くなります(浜松より西の湖西市では中日新聞が圧倒的です)。
と、あれこれ書いてきましたが、実は静岡新聞が気に入っていたのは、印刷の質がよく、手が汚れない、「新聞紙」としての機能が高いことも大きな要素でした。それがいつの間にか、普通の新聞紙っぽい印刷になっていて。これだったら他でもいいよな、という、新聞社さんからするとガックリするような理由です。
けど、これは単に新聞の印刷の良し悪しの話ではなくて、「モノ」を伴う体験には、「身体性」が避けて通れない、ということなんだろう、と無理矢理結論づけています。新聞を作る側の人たちは、そういう観点で作っていないだろうけれど、こと消費者(って言い方好きでないので、サービス受容者とでも言おうか)にとっては、そういうことで物の良し悪しが決まってしまうのだと思います。工務店の仕事も結構そうですよね。