エネルギーのボリューム感をつかみたい

昨日、灯油ストーブ万歳!
のようなことを書きましたが

やっぱ石油ストーブはあったかいぜ、と炎上覚悟で書いてみる
朝の支度中に電気のブレーカーが落ちたのをきっかけに、またあれこれ考えてしまいました。

当然ながら化石燃料を促進したい
わけではなくて

言いたいのは
エネルギーのボリューム感がつかめるか
ということです。

以前に読んだ新妻弘明さんの本
地産地消のエネルギー』にある一節が
ずっと頭に残っています。

省エネ運動にしても省エネ教育にしても、その基準はなべて観念的であり、思考にのみ訴えるものである。人々は自分がどのぐらい動けば100Wなのか分っているのだろうか。これに対して、薪を自給する人の「こんなの使ってられない」や、食べ物を自給する人の「もったいない」は全身で感じているものである。この感覚が国民一人一人に無ければ、本当の意味での低炭素社会や循環型社会は無いのではないだろうか。

ここで、薪に対して
「こんなの使ってられない」というのは、

昭和40年代に薪ストーブから
石油ストーブに切り替わった頃の話

当時の燃焼効率の低い薪ストーブは
薪を大量に使うため

そんなに大量に薪を使うのでは
やってられない

そういう身体感覚があった、という話です。

灯油ストーブも
タンクの燃料が切れたら
補充しなければいけませんし

そのための灯油も
買いに行かなければいけません。

面倒くさいですね。

だから残量を気にしながら
必要な時だけしか使わないし

どのぐらいの暖かさを得るために
どのぐらいの燃料が必要なのかも
感覚的にわかります。

これが、コンセントから
無尽蔵(ではないけど)に
流れてくる電気の場合

全然わかりませんね。

いつでも電気が流れてくるから
ああ〜今日は500Whも使ってしまった。
みたいに実感しにくいのです。

もちろん
HEMSなどがあれば
「見える化」はできますが

自身の体験を通じて身体感覚として
エネルギーの価値を理解するのは
むずかしい。

同じ室温を作り出そうとすれば
高効率なエアコンの方が
一次エネルギー換算での消費量が
少ないのはまぎれもない事実ですが

こんなに燃料使っちゃった、とか
燃料がもったいないから
このぐらいにしとこう

みたいな感覚には、なかなか
なりませんよね、電気。

うちにはHEMSはありませんけれど
ワットチェッカーでしばらく測っていた
ものがあります。

60日で41.46kWh。
1日あたり691Wh。

僕が自宅で仕事をはじめた
10月半ばから12月半ばまでの
2ヶ月間(60日間)で使った電力です。

仕事場はこんな感じ

この机の上に載っているものを
全て一つのコンセントから取っているので
そこの消費電力を測っていました。

この間は暖房は未使用
10月などまだ暑い時期はUSB扇風機

照明は、たまに部屋の明かりもつけますが
ほとんどはディスプレイ上のUSBライト

つまり、事業用のほぼ全ての消費電力が
1日あたり691Whだったといえます。

wifiルーターとかNASとかは
別の部屋にあるので
そっちの電力はカウントしてませんし

出張して家で作業をしなかった日もあるので
ばらつきはあるはずですが

とにかく1日約700Wh。

職場の消費電力としては
かなり少ない方なのでは
と想像しています。

デスクトップパソコンの場合は
本体だけで数百Wを使うものもあるし

オフィスなどにある複合機なんかも
印刷時は1kWオーバー、待機中でも100Wぐらいは使います。

ほぼパソコン1台で
電気の大飯食らいのものがありませんので
少なくて済んだ…のだと思いますが

正直、実感がありません。

生まれてからずっと電気を使ってきているのに
100Wというのが、どのぐらいのエネルギーなのか
身体感覚で理解できていないんですね。

人間は基礎代謝もあるので
部屋にいたら、だいたい100Wぐらいの熱を出す
と言われています。

そう考えると、生きてるだけで100W
消費中なわけですが

普段使っているエネルギーが
どのぐらいのボリューム感なのかは
電気の場合はとてもつかみにくい。

薪ストーブなら
薪が減るから補充するし

灯油ストーブなら
灯油の減りの速さがわかる

せめて電力の感覚を掴みたくて
こんなものを買ってしまいました。

ポータブル電源。
太陽光発電で充電します。

このモデルは容量が288Whなので
仕事1日分の電力供給には
足りないのですが

それゆえに
何がどのぐらい電力を使っているか
切迫感を持って
知ることができるわけです。

電力が切れたら仕事も打ち止め!
にしてみようかな?