日曜じゃないけど、流れでメシの話
渋谷では、松濤美術館も目的地でしたが、もう一つ行きたいところがあって、それは南インド料理店「エリックサウス」
カレーの食い方一つにもこんな注意書きが。

いや、注意書きじゃないや、「楽しい食べ方」です。めんどくさいですね。楽しいんだけど。
まあ、要するに、カレーを食いに行ったわけです。
エリックサウスの総料理長・稲田俊輔さんのことは、このブログでも過去に何度か触れています。


エバーおろし、いいですよ〜。昨日も使った。
それはさておき、無事、カレーをいただくことができました。

別に高級料理店、というわけではなく、南インド料理版の吉野家みたいなお店を目指したそうです。
(ランチのレモンサワーとかジンジャーサワーが200円…極楽や…!)
ということ(サワー以外)が書いてあったのが、稲田さんが著したこの本

『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』
サイゼリヤの凄さにだいぶページが割かれていますが、まあ、サイゼ以外のことも出てきます。
(サイゼリヤの部分は、まったく我が意を得たり、というか、それ以上です)
人はなぜか、おしゃれなカフェは褒めるのに、チェーン店になると上から目線になる。でも実はすごいんだよ、チェーン店で食べることを卑屈に思わず、晴れやかに誇らしく飯を食うようになれば食べる人もお店も幸せだ! という話です。
飲食チェーン店というのは、仕入れでスケールメリットを活かし、マニュアル化・セントラルキッチン化などの合理化で、品質に対して価格が安い、というのが特徴です。
もちろん、僕はここでチェーンの飲食店の凄さを伝えたいわけではありません。
住宅だと、どうなんだろう?
本書の後書きにこんな文があります。
今、飲食店、特に個人店にとっては冬の時代です。厳しい社会状況や過当競争のもとで、消費者の要求レベルが上がっていく一方。そうしたなかでどうしてもほとんどの飲食店は、いかにしてお客さんのご機嫌を損ねないかに躍起にならざるを得ません。いきおい、本来やりたかったことや新しい挑戦を諦めてでも、大多数のお客さんが、望まれるままに粛々と実行していくしかないという保守的な空気が蔓延しているように感じます。結果、多くの個人店のメニューやサービスは、どこも似通った無難なものになりがちという閉塞感を特にこの数年、私は強く感じています。
「飲食店」を「住宅会社」に、「個人店」を「小さな工務店」に置き換えてみると、どうでしょう。
こんな文が続きます。
本来であればそういう、最大多数の人々が望む無難なものを提供するのはどちらかというとチェーン店の役割であり、個人店こそ果敢な挑戦ができる場であるはずなのです。そんななかで逆に、本書で紹介したようなチェーン店は、その軸足を「最大多数の人々が望む無難なもの」に置きつつも、それと並行して常に新しい挑戦を諦めていません。
「最大多数の人々が望む無難なもの」
これは住まいだと、どんなものになるんでしょう。
全国展開のハウスメーカーの家が、最大多数の人々が望む無難なもの、であると、僕には思えませんが、彼らはそれを狙って商品開発をしているんでしょうね、おそらく。
FCの商品もまた然り。
まあ、街中には(工務店が真似たようなものも含めて)多いので、やっぱりそれが最大多数なのかなあ…?
では小さな工務店が作る家はどうかというと、実はこっちの方が分化していて、「最大多数の人々が望む無難なもの(あるいはその劣化コピー)」をやる工務店とか、「デザイン住宅」的なわかったようなわからないような家をやる工務店とか、「性能性能、とにかく性能」とか。
という点では、飲食のチェーンで起きていること(無難をやりつつ新しい挑戦)が、住宅業界では大手ではなく、小規模工務店で起きている、のかもしれません。
工務店がつくる家、というのは千差万別である(最大多数が望みそうな無難さを狙うところも含め)、ということで、まだまだいくらでもさまざまなものが生まれてくるはずだ、という期待が持てた気がします。
書いてて何言ってんのかわからなくなってきましたが。
まあ、前述の稲田俊輔さんは、自らを「フードサイコパス」と言っているぐらいだし、僕も「工務店サイコパス」ってことにしとくかなあ。
と、ここまで書いた後で、ちょうど昨日、稲田さんが酒について語ってるコラムを見つけました。

まあ、酒の話なんだけど、ここで言っている「マズ味」もまた、深い言葉なんだよな〜、食べ物以外にも通じるような。

